高知地方裁判所 昭和45年(ワ)236号 判決 1972年3月24日
原告
中野延義
代理人
徳弘寿男
被告
高知県
右代表者
溝渕増巳
代理人
中平博
外四名
主文
被告は原告に対し、金二、八〇〇、〇〇〇円、および、これに対する昭和四三年二月二〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを五分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
この判決は原告勝訴の部分に限り、かりに執行することができる。
事実《省略》
理由
一、争いのない経過的事実等
(一) 当事者間に争いのない事実
被告が、高知県立西南病院(以下西南病院という)を経営し、訴外川瀬営道は、被告に雇傭され、同病院において外科医長兼副院長として勤務した医師であること、
原告は、昭和四二年三月二二日、西南病院へ赴き、同病院の外科医山崎洋二医師の診察を受けたところ、同医師は、同日、原告の右腸部に硬直する部分のあることを診察し、原告に対し、注腸造影と入院をすすめ同月二八日、さらに原告の症状を精査して、肝を2.5横指(巾)触知し、辺縁の鋭利で硬いことを診察し、一方、注腸造影を担当した同病院三浦孝文医師は、上行部付近に結腸癌の疑いと、上行結腸走行異常というレントゲン所見を下し、山崎医師は、原告に対し、西南病院へ入院して、大腸手術を受けるようすすめた。そして、原告は同年四月一日、嘔気、嘔吐はなく、便通もあり、肝の触知もなく、イレウス(腸閉塞)もなかつたが、前夜腹部に激痛があつたことから、入院(なお、入院が同月四日であることは後に認定するとおりである)のうえ開復手術を受けることを決意した。原告は、同月三日、同病院で、検血、検尿、肝機能検査等を受け、原告主張のような諸検査結果が得られていたところ、川瀬医師は、原告について大腸癌(上行結腸癌)と診断のうえ、同月一三日、その傍復直筋部を開復し、回腸の一部とこれに続く盲腸、上行結腸の全部、および、横行結腸の一部を切除し、回腸の切端と横行結腸の切端とを縫合する手術をし、右手術は成功したこと、
西南病院では、同月一九日から、抗癌剤であるマイトマイシン、エンドキサン、トヨマイシン等を投与し、原告は、同年五月一日退院したが、その後も同年七月一七日まで、右三者の投薬を継続し、同月二八日、同病院へ再入院した。そして、同病院医師は、同日以降同年九月一五日まで、鉄欠乏性貧血の治療薬であるフェロバルトを静脈注射(以下単に静注という)により連続投与し、同月二二日、原告が退院した後も、原告に対し同様の治療を行ない、翌四三年二月下旬頃まで、右フェロバルトの静注を継続した。原告は、同人を見舞いに来た実姉から、県立中央病院で診察を受けるようすすめられたので、同年三月二日、同病院で診察を受けたところ、同病院において、ロマノスコピーによるS腸鏡をもつて、直腸上部、S状結腸屈曲部を検査した結果、直腸癌の所見がなく異常がないとされたこと、
以上の事実は当事者間に争いがない。
そして、原告は、右の経過からさらに進んで、西南病院医師は、原告に対し、原告が癌でないのに上行結腸癌であるとして、結腸中央部を切除したばかりか、これに基づいて、原告に対し、長期間にわたり抗癌剤を過剰に投与し、その結果、原告を再生不良性の貧血に陥らせたのみならず、さらに、鉄剤であるフェロバルトの過剰投与を継続したため、原告に対し続発性ヘモクロマトージスの傷害を与えたと主張するので、以下検討することとする。
(二) 医師の一般的義務
ところで、医師―臨床医は、所定の資格を得て直接人の生命および身体の安全にかかわる重大な責任を伴なう医療業務に従事するものであるから(なお、医師法第一条、第二条参照)、患者の病状、病名の診断に際してはもちろんこれに基づく治療のための処置(手術、投薬等)についても、それらにより人の生命および身体の健全性を害するに至る可能性が常に存在するものである以上、通常人に比しより高度の注意義務――実験上必要とされる最善の義務――を要求されていると云わざるを得ないところであるけれども、診断ないし治療時における我が国医学知識ないし治療技術の水準等からみて、医師として当然なすべき注意義務を尽している場合には、たとえ診断あるいはそれに基づく治療の結果、予期した成果をあげることができず、あるいは、患者の身体の健全性を損なうに至つたとしても、右の結果について、医師従つてまたその使用者がすべて民事責任を負うことはないと解するのが相当である(最判昭和三六年二月一六日、集一五巻二号二四四頁、函館地判昭和四四年六月二〇日、判例タイムズ二三六号一五三頁、大阪地判昭和四〇年二月二五日、医療過誤民事裁判例集九五九頁等参照)。
よつて、右のような前提のもとに、本件において、訴外川瀬医師らによる原告の症状についての診断ならびに治療が、適切なものであつたか否かについて、以下順次判断することとする(なお、原・被告がそれぞれ提出した医学上の文献について、それらが、直ちに本件事案に適用し得るものであるか否かについては疑問のあるところであるが、医学の水準を知るうえで重要であり、また、一般的な判断の前提としてその記述を利用し得るものと考え、これらを事実ないし証拠判断等に際して考慮ることとした)。
二、癌の診断
(一) 西南病院山崎医師は、昭和四二年三月二二日、同病院において原告を診察し、その右上腹部に硬直した大腸を認め、体温は36.6度Cであり、原告から夜間疼痛があるとの訴えがあつたので、同日鎮静剤であるブスコパン、および、解熱剤であるビラビタールを注射し、ブスコパン三錠、および、鼓腸に対する対症療法剤で緩下作用を有するガスコン六錠、整腸剤であるビオフェルミン3.0グラムを一日として各三日分の処方をし、ヒマシ油三〇グラムを投与した。同病院医師は、同月二八日原告の肝臓が2.5横指(巾)腫大し、しかも、その辺縁は鋭利で硬いことを触和し、右側腹部がやや緊張しており、これは、ガスが蓄積しているからであると診断し、同日、注腸造影を指示し、右三月二二日と同様の処方(七日分)をして投薬を与えた。同月二八日、右注腸造影を担当した同病院三浦孝文医師は、結腸肝彎曲部に異常があり、上行結腸部に造影剤の通過不良、陰影脱落、輪郭不整と、同部へ圧迫過敏のあることを認め、上行部附近に結腸癌の疑いと、上行結腸走行異常なる旨のレントゲン所見を下した。原告は、同年四月一日、西南病院の医師に対し、夜間激痛があつたが、嘔気、吐気はなく、当日朝便通があり軟便であつた旨告げたところ、右医師は、肝臓を触知せず、腫瘍は不明瞭で、右上腹部は抵抗および圧迫感があるが、イレウス(腸閉塞)症状の認められないことを診断し、原告について次回受診日に検尿等の諸検査をするよう指示して、前記ブスコパン一アンプルを筋肉に注射し、ブスコパン六錠、精神安定剤のバランス三錠、および、便塊に水分を浸透させ軟化して排便を促がす浸潤性瀉下薬ソルベン二錠ほか健胃散ロートエキス一日分として処方し、三日分の投薬をした。原告は、四月三日、西南病院医師の指示に従い、検尿等の諸検査を受けたが、右検査結果によれば、赤血球数四九六万、血色素量(Hdザーリ値)九四パーセント、白血球数八、一〇〇、白血球像の分類は、正常(好中球中、桿状核球六パーセント、分葉核球五一パーセント、リンパ球三一パーセント、単球七パーセント、好酸球五パーセント)、尿蛋白(一)、ウロビリノーゲン(+)、正常、尿沈渣所見なし、潜血反応(±)(ただし四月五日は(−))、肝機能検査の高田氏反応(−)、BSPテスト〇パーセント、チモール反応テスト1.4、GOT(一四)、GPT(一〇)を示し、右諸検査結果には異常は認められず、さらに、同日診察した医師は、よく動く、右上腹部に感知する腫瘤を触知し、四月四日、原告を診察した川瀬医師は、大腸癌(上行結腸)と診断した。そして、西南病院において、術前に原告主張のようなキュルテン等の癌反応検査を実施することもなかつたところ、右医師は、同月一三日の開復時、上行結腸に拇指頭大の腫瘤があり、これが肉眼的に癌であることを確認したので、回腸一部、上行結腸全部、横行結腸一部を長さ約四〇ないし四五センチメートルにわたつて切除した。その後、右摘除部分を直ちに病理組織検査に提出することもなく経過し、昭和四三年七月二五日に至つて、腸の一部(もつとも、それが原告のものか否かについては争いがある)を高知県衛生研究所に送付し、同年八月二日、それが間違いのない結腸癌であるとの組織診断を得ていること、右のほか、原告の主張する癌の診断について留意すべき事項、および、癌の診断方法(なお、甲第二七の一、二、山川民夫ほか編・講座―病態の生化学8、がん―昭四四年刊参照)、ならびに、上行結腸癌の特徴については、いずれも当事者間に争いがない。
(二) <証拠>によれば、
原告は、昭和四二年三月一五日頃、高知県中村市森沢において、山の木の伐採ならびに搬出の業務に従事していたが、集材所の巻上げ機が急に作動したため、その巻上げ線で右胸から横腹を打たれ、一メートル位とばされたことがあつた、そして、その当日は、帰宅した後、同部にサロンパスをはつていたが、その夜から急に腹が痛くなり、中村市内の木俵医院で診察を受けたところ、肝臓疾患ならびに十二指腸潰瘍との病名を付せられ、治療を受けていた。
原告は、同月二二日、西南病院へ赴き、同病院外科長である山崎洋二医師の診察を受けたところ、同医師は、原告から、右木俵医院での治療の経過を聞き、さらに、三日ほど前から、右側腹が硬くなり膨大し、痛みもあり、便通(軟便)が一日二ないし三回であるとの訴えに基づき、大腸癌の疑いがあると考え、原告に対し、ヒマシ油三〇グラムを投与し、注腸造影と入院を予定した。
西南病院放射線科長三浦孝文医師は、原告について、同月二八日、注腸造影を行い、その所見として(前示のとおり争いのないところであるが、その詳細を認定する)、結腸、注腸するに、結腸の走行は異常にて、左図の如き走行をとり、肝彎曲部付近まではなめらかに充満する、上行結腸において造影剤の通過は不良で、延展性(拡張性)不良、陰影の脱落(欠損)を認め、輪郭は不整、この部に一致して圧迫感(過敏)がある、レントゲン所見、上行部に結腸癌の疑い、結腸の走行異常―三浦としているところであり、同医師としては、撮影のレントゲンフィルムに基づいて作図し、狭窄部(第二図では鼠咬像)を示してはいるが、これらによりなお結腸癌と断定することができなかつた。そして、山崎医師は、右三浦医師のレントゲン所見を解釈し、狭窄部は、三浦医師が癌の特徴的な陰影として鋸歯状の形を残そうとして作図したものと考え、造影剤の走行が、上行結腸中央部において連続が認められないことから、同所を癌の部位と考えるとしていること、もつとも、同年四月四日、右医師により記入された作図(検甲第一五号証)は、S状結腸(検甲第三号証)と上行結腸を同視した疑いが残るところである。
川瀬医師は、消化器外科、内臓外科を専門とし、昭和三六年西南病院へ着任以来、癌については七六例―胃癌四四例、食道癌三例、直腸癌一五例、結腸癌六例、肝臓癌三例等――について、その手術等に関与した経験があり、昭和四二年一月九日から三月四日まで、愛知癌センター(愛知県癌センター)において、胃の内視鏡、細胞診、病理学、癌の化学療法等について研修を経ているところ、同年四月一日原告を初診し、前示のとおり、同日現在イレウス症状なし等と診断し、同時に手術を予定して検血、検尿等の実施を指示し、次いで、同月三日にも、自ら原告を診察し、腫瘤触知(同医師は、この場合については筋防衛反応がなかつたものと考えている)、圧迫感、よく動くと診察し、原告が入院した四月四日のカルテには、入院、三月二八日の造影により、上行結腸の中央に狭窄影像あり、最近毎日のように腹痛を訴える、右側腹に腫瘤を触知する(軟かい腫瘤、よく動く、圧迫感)との記載がなされている。そして、川瀬医師は、原告の主訴、右のように腫瘤を触知したこと、ならびに、注腸造影の結果に経験を加味して総合的に検討し、とくに、三浦医師によるレントゲン所見にある輪郭の不整は、潰瘍底と思われるところにバリウムがたまつている結果であるとの考えから、癌を疑わせるに十分であるとして、原告の症状は結腸癌であるとの考えを強め、そして、四月三日、および、四月五日に、手術準備のチェックとして血液、尿、糞便、肝機能等の諸検査が実施されたが、その結果すべて正常との数値を得、これに基づき、原告が十分手術に耐え得るものと判断した。
山崎医師は、川瀬医師を補助として、同月一三日、原告に対し、右傍腹直筋外縁切創により腫瘤の直上に切開を加える開腹手術を実施し、回腸の断端部と横行結腸の断端部を側々吻合したものであるが、その手術記録には、術前診断――大腸癌、術後診断――同上、術式――回腸横行結腸吻合順蠕動性、手術所見として、右傍腹直筋部々分的切除術、腹水(一)、上行結腸中央部に拇指頭大の腫瘤があり、その部に虫垂が上行し、癒着していた、後腹膜との癒着は著明でない、腸間膜のリンパ節(腺)諸々に腫脹する、肝臓、膵臓その他隣接器管(臓器)には転移はない、回腸の一部、上行結腸全部、横行結腸一部(上図のごとくなつている)切除、吻合する、との記載がなされている。
手術時における診断については、川瀬、山崎両医師の肉眼的ないし触れた所見として、盲腸上部に悪性の潰瘍を認めたが、それが結腸中央部における不整形のほぼ円形のもので、周辺はとくに噴火口状に隆起し、潰瘍底には非常にきたない組織がみられたほか、リンパ節に転移らしい腫脹があつたことから進行性の癌(臨床上は結腸粘膜癌)を確認でき、肝臓等への転移も考えられるところから、再発防止への配慮もあり、直ちに適切とされる周辺組織も含め右半結腸の切除をしたが、山崎医師は、回腸、盲腸、上行結腸、横行結腸の一部、腸間膜、後腹膜、後腸間膜、結腸間膜を含んでいるとしている。
川瀬医師によれば、術前の臨床診断として、生物化学的癌反応検査、例えばキュルテンの血清煮沸法、松原皮内反応等初期の診断方法を実施しなかつたのは、すでにそれが前示癌センターでの研修過程にとり入れられていないような状況であり、同医師としても、かつて明らかに癌と判明しているものについて、これらの反応検査を実施したが、僅かに三〇パーセント程度しか陽性でなかつたことがあり、右反応検査につき信憑性がないと考えていた、ところで、内視鏡検査も、昭和四二年四月当時は、結腸まで到達する器械が開発されていなかつたので、絶対不可能であつたほか、前示の注腸造影等の結果からすでに結腸癌と考えていたので、結局右癌反応検査を実施しなかつたものであること(なお、藤井医師は、試験開腹がむしろ常識であるとすらしている)。さらに、術後直ちに摘除部分を病理組織検査に提出しなかつたことについては、どこまで転移があるかということは肉眼等で判然とするものではないけれども、同病院において当時その設備がなく不可能であつたほか、その結果を待つていたのでは時間を浪費し、かえつて適切な治療の開始が遅れることも考えたとしていること。その後、できるだけ早期に制癌剤療法を実施しようと考えたが、まず、手術の障害となる大腸菌を殺菌するため、術後同月一九日まで、抗生物質であるクロロマイセチンの注射を継続しその時期をまつていること。
そして、原告についての西南病院病歴日誌の診断名としては、術前、川瀬医師により、V.a. Dickdrmkrebs(大腸癌についての疑い)と記載されていたものであるが、術後、右V.a.(についての疑い)の部分は抹消されていること(もつとも、右日誌にColon ascend―正確にはColon ascendensであろう―が何時記載されたかは必ずしも明らかでない)。
なお(後に切除片の同一性について判断するとおりであるが)、小川勝士医師は、高知県病院局長大町行治氏から、昭和四五年六月一六日付で、損害賠償請求訴訟が提起されたとして、原告にかかる切除標本の組織片について鑑定を依頼されたが、これについて、イ、右切片がどの部分か、例えば上行結腸か横行結腸かは決定できない、ロ、明らかに癌の増殖があり潰瘍を形成していた、原発癌と考えたが、リンパ行性の転移を認め、かなり進んだものと考える、ハ、採取年月日は鑑定不能であるとし、また、西森一正医師は、昭和四五年四月二〇日頃、川瀬医師からの診断等の依頼があり、その送付された標本(腸切除片)についての鑑定の結果、これにみられる癌は乳頭状線癌で、癌組織に接した腸粘膜上皮に反応性の増殖がみられること、癌組織への移行像の認められることから、原発癌と認めたとしていること。
以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足る証拠はないところ、右事実に従えば、川瀬常道医師らによる結腸癌の診断は正確であつたと認めるのが相当である。もつとも成立に争いのない甲第三〇号証の一、二北条慶一「大腸の早期癌」臨床雑誌―内科―二八巻六号、一九七一年によれば、大腸癌の初期症状は、部位によつて異なるが大部分は出血である。また、癌の深達度と生存率の相関が高く、リンパ節転移のあるものは予後は良好とはいえない旨の記載があり、昭和四二年四月三日および五日の検査(糞便)検査による潜血反応がそれぞれ(±)、(−)であることは争いがなく、また、原告の癌は進行性の癌でかなり深く潰瘍が形成されているのであるが、証人川瀬常道の証言(第二回)によれば、潰瘍面から出血があつても時間が経つと血栓を形成して一時的にとまる場合があるというのであり、さらに、原告が現に生存していることは明らかであつて、癌術後の延命効果からいつて、なお、疑問の余地はあるとしても、証人神田正一の証言(第二回)によれば、統計的にみて結腸癌の予後は良好であるとされているところであるから、以上の一般論によつても、前示結腸癌であるとの診断を左右するものではない。
(三) なお、原告は、西南病院医師が、原告の剔除物と称し第三者の結腸を病理組織検査に提出した旨主張するので検討するに、同病院医師らが剔除した結腸等の長さが約四〇ないし四五センチメートルであつたことは当事者間に争いのないところ、検証の結果によれば、右ホルマリン漬けの標本は、約一二〇グラム、腸壁切開によるその最も長い部分(盲腸から横行結腸に至る部分)で約一六センチメートルであり、その同一性を前提とすると、相当な収縮があつたものと認めざるを得ないところである。しかしながら、他方、<証拠>によれば、原告の腸の手術に看護婦として立会した宮崎京子は、切除物については、手術直後、日時と原告の氏名を記載した名札をつけ、ホルマリン漬けにして標本室へ保管し、前示のように、病理組織検査に提出した際、同女らがその出し入れをした以外変更を加えていないとしていること、原告の血液型はA型であるところ、右剔除物(臓器片)についてなされた型的二重結合法および解離試験の結果、その血液型はA型(日本人中約四〇パーセントを占める)とされていること、虫垂は、手術所見としては記載されているが、原告の結腸を切除する以前にとられたもので、消毒区域から下へと除去され、手術を補助する者に手渡されたが、その後保管はされていないこと、なお、山崎医師は、回腸の存在について疑問を抱いたというが、右手術時所見としての切除部の形状(検甲第一〇号証)が、検証の目的物と一致し、しかも右目的物には腸の内側において、その走行する方向と直角に多くの襞を観察することができること、原告が結腸の手術を施行した当時はもちろん、同年度の手術記録控綴によつても、胃癌等の手術例はあるが、大腸の手術により同部を剔除した事例はみられないこと、がそれぞれ認められるところである。そして、以上の事実によれば、原告の右半結腸は、ホルマリン漬けにされたことその他時間の経過により、右のような収縮を来したものと解するのが相当であるから、右標本を第三者の腸であるとすることはできない(なお、当裁判所としては、以上の事項を含む鑑定につき、結局、鑑定人が得られない結果に終つたことを遺憾とするものである)。この点で、証人中野千代喜の証言中、臓器保存室において、原告の結腸切除部分を見たことがないとある部分は採用することができない。
ついで、原告は、西南病院において、昭和四二年七月二八日、大腸癌と診断等しているとし、これを前提として右診断が誤診であると主張するので考えるに、<証拠>によれば、山崎医師は、右七月二八日、原告について診断し、西南病院病歴日誌には、原告について再生不良性貧血、白血球減少症のほか、Rektumkrebs(post op)の記載があつて、右診断については、川瀬医師も関与しているところであり、その後、カルテの八月七日欄にも山崎医師は、日本名で直腸癌(術後)、再生不良性貧血兼腎炎と記載している(そして、右が直腸癌なる病名は、なお、同年八月七日付の一般入院要否意見書においても維持されている)のであつて、第三者がかかる記載を一覧した場合には、確かに術後に直腸癌と診断されたものと解される余地があるとみられるところであるが、他方、山崎医師は、上行結腸癌とすべきところを、大腸癌の大部分が直腸癌であることから、これを直腸癌と間違えて記載したもので、Post opは癌による手術後の意味であるとしていること、しかも、右七月二八日付の三浦医師による原告に対する注腸造影の結果によれば、結腸注腸するに、結腸はなめらかに充満し、S状結腸は走行異常をとる、横行結腸、小腸の吻合部の通過はなめらか、造影剤が小腸に多量入り、フィルムの読影がしづらくなつていることをおわびします、レントゲン所見:結腸吻合部の通過は滑らか―三浦、とあつて、直腸の異常についての所見がないほか、その後西南病院において、直腸癌が再発したものとして新たな処置がなされた形跡がないこと、このほか、山崎医師は、同年四月一三日の西南病院当直日誌には、中野氏、Dickdarmkrebs(大腸癌)で手術好調と記載しているのに、同月一五日の右日誌には、Rektumkrebs(直腸癌)との記載があり、直腸癌については同医師もその誤記であることを認めていること、原告は、昭和四三年三月二日頃、県立中央病院で診察を受けたが、同病院近藤医師らにおいて、原告の左耳介下の試験切除をなし、さらに外科で、ロマノスコピー(直腸鏡)により検査した結果、単なる耳下腺炎であつて、直腸も約二〇センチメートルまで異常がないとして、直腸癌は否定されていること、がそれぞれ認められ、以上の事実に従えば、山崎医師による直腸癌(術後)は、同医師がいうように明らかに誤記であり、単に、爾後の治療の参考として記載されたに過ぎないものと考えられるから(これと異なる証人中野千代喜の証言、および、原告本人尋問の結果(各一部)は採用できない)、以上の直腸癌を診断名であるとし、従つてこれを誤診の徴表とみる原告の主張は採用することができない。
(四) よつて、以上を基礎として、癌の診断に際して川瀬医師に過失があつたか否かについて判断する。
まず、癌の診断方法として決定的なものはないが、現在のところ腫瘍細胞ないし組織を発見することが重要であり、細胞診、レントゲン診断法、生化学的診断法による総合的、多角的な診断を進める必要があり、これについて、原発腫瘍か、転移が生じているか、それらがいかなる部位であるか等に留意すべく、さらに全癌中に占める結腸癌のパーセントが低い等結腸癌の特徴とされるものについては、一般論として、被告において争わないところである。してみると、かかる結腸癌であると診断するについては、とくに慎重でなければならないことはいうまでもなく、前示のとおり、高度の注意義務が要求されるところであるけれども、医師に対し、現在の医学において認められている可能な診断方法をすべて講ずるよう要求することは不可能であり、診断方法(治療方法についても同様である)の選択については、いわゆる医師の裁量性を否定することはできないところである(加藤一郎「医師の責任」我妻先生還暦記念―損害賠償責任の研究上五二一頁参照)。よつて、以下検討をすすめる。
(1) 成立に争いのない乙第二八号証(癌研究会編集「癌の研究―基礎と臨床―」昭和四四年)によれば、結腸癌の特徴として、右結腸では腸壁がうすく、内容が流動的で通過不良が起こりにくく、その症状は腫瘤とくに右下腹痛で始まるものが多いとし、さらに、造影剤を用いる大腸等のX線検査法については、それが不可欠のものとなつたばかりか、診断等において主役を演じている場合も決して少なくない、結腸癌の確定診断はX線診断であるとさえしているところ、川瀬医師は、前示のとおり、原告主張のような生化学的癌反応検査を実施していないけれども、原告の術前の症状、注腸造影によるレントゲン所見に準拠して、原告について結腸癌疑いという診断名を得、開腹(試験開腹も一つの方法であることは前叙のとおり)の結果、その所見により上行結腸癌の確定診断を得ているところであり、また、キュルテンの血清煮沸法等の検査結果については、その経験により陽性率が低度であるとの判断から、これを敢えて実施しなかつたというのであるから(もつとも、成立に争いのない甲第一号証の一、八―金井泉・臨床検査法提要一九六六年刊では、癌反応検査法としての例えば松原皮内反応について八五ないし九五%―追試―と陽性率が高いとされている。そして証人山崎洋二の証言により真正成立を認める乙第九号証の二では検診にも使用されていることが認められる)、以上のような一定の診断方法――生化学的癌反応検査を実施しなかつたことをもつて、直ちに医師に過失があつたとすることはできず、さらに<証拠>によれば、医師による原告の結腸右半切除術は適切であつたことは明らかであり、その他、術前の手術準備のための諸検査の経過等にも遺漏があつたものとは認められない。
(2) つぎに、<証拠>によれば、結腸癌の手術後病理へその組織標本を提出すべきであるとされているところであるが、西南病院においては、これを直ちに組織検査に提出せず、手術後約一年三か月以上経過後の昭和四三年七月二五日、および、その後本件訴訟と関連して、始めて、これを病理へ提出していることは前示のとおりであり、川瀬医師は、この点に関し、西南病院における設備の十分でないこと、および、癌治療の早急な実施の必要から、術後直ちに病理へ提出をしなかつたとし、また、結腸癌の所見が肉眼的に確認できたのでその必要がなかつたからであるとしているが、同川瀬医師の証言(第二回)によつても、術後遅滞なく病理組織検査に付することが、癌病巣の範囲、転移の有無等を検索するに必要であるとされているところであつて、これが、或る程度、抗癌剤の投与の時期、投与量についての基礎資料としての意義をもつものと認めるのが相当であるから(なお、証人神田正一の第二回証言)、可及的にすみやかに、他病院等の病理へ提出すべきであつたといわなければならず、従つて、川瀬医師らにこれを怠つた点で若干疑問のあることは召定できないところであろう。しかしながら、癌の診断としては、川瀬医師は、開腹時診断において結腸癌を確認しているのであり、それが正しい診断であると認めるべきことは前に示したとおりであるから、右診断を確実にする方途として、切除標本を病理に提出する措置を直ちにとらなかつたことをもつて、原告を結腸癌と診断するについての手落ち従つて過失があつたものと解することはできない。
三、抗癌剤の投与
(一) 癌の特質は、それが宿主との関係で無限に増殖するいわゆる自律的増殖をすることにあり、これについての完全な治療薬が存在せず、現行の抗癌剤についても、すべて癌組織に選択的に作用せず人体の正常細胞にも作用し、副作用を惹起することが多く、その過剰投与は、下痢、食欲不振、全身倦怠、微熱のほか、造血系統の障害から再生不良性貧血、白血球減少症を生ずるものであること、昭和三七年九月二四日保発第四二号都道府県知事あて厚生省保険局長通達が、抗生物質の使用についてその濫用をつつしみ副作用に留意すべしとし、とくにマイトマイシンについて、標準的使用法および量について、副作用として白血球減少が多く、白血球数が三、〇〇〇以下に減少するか、または、急激な減少傾向を辿るときは一時休薬する。他に出血傾向、食思不振、全身倦怠、胃腸症状等がみられることがある。最も一般的な使用法は一日一回一ないし二ミリグラムを投与する等定めていることは、いずれも当業者間に争いがない。
そこで、一般的に、抗癌剤の特性等についての医学上の定説とみられるものを提出された証拠(書証についてはいずれも成立に争いがない)により瞥見するに、(イ)、今日ある抗癌剤の癌細胞に対する抑制作用は決して弱いものではない。しかし同時に存在する正常宿主細胞に対する抑制作用も避け難く、癌細胞を抑圧しおおせるまで充分量の抗癌剤を使用することが困難である(乙第五号証―悪性腫瘍の化学療法における多剤併用療法(METT療法)、同旨、甲第二九号証の一、五、乙第一二号証―斉藤達雄「抗癌剤の使い方」治療、五〇巻二号、一九六八年)。(ロ)、抗癌剤は癌に対し特異的に作用するものではなく、同時に正常組織に対しても抑制的に作用し、これが副作用として発現する。その最も多いものは骨髄の造血に及ぼす抑制効果であり白血球あるいは血小板減少を来たし、重篤な場合は出血死に至らしめる<証拠略>、とくに副作用としては、マイトマイシンCは、白血球減少、食思不振、出血、悪心、嘔吐、血小板減少など、エンドキサンは、白血球減少、血小板減少のほか、食思不振、悪心、嘔吐、全身倦怠感、下痢、腫など、トヨマイシンは、悪心、嘔吐、食思不振、腹部不快感など、ただし、白血球減少、血小板減少などの造血器障害が少ない<証拠略>。(ハ)、連続投与法、間歇投与法において、マイトマイシンを例にとると、総計四〇ないし六〇ミリグラムに達すると、白血球減少等の副作用の発現によつて中止のやむなきに至ることが多い。私共は従来、白血球数二、〇〇〇ないし二、五〇〇、栓球数三〇、〇〇〇ないし四〇、〇〇〇を一応抗癌剤投与中止の時期と認めて来たが(―乙第一三号証参照―)、最近においては、多剤併用療法の場合は、白血球数の限界を四、〇〇〇とし、これ以下に減少した場合には、中止するか、直ちに中止しないでも極めて慎重に観察して中止の時期を失しないように努めている<証拠略>。これに対し、乙第一三号証―斉藤達雄「癌化学療法の臨床」癌の臨床八巻三号、一九六二年は前示のとおりである。なお、甲第三一号証の一、二は限界として一般に白血球数三、〇〇〇とする、同旨、証人近藤慶二の証言、また、証人神田正一(第二回)の証言では、白血球数について、三、〇〇〇前後が一応の目安であるが外来の場合は四、〇〇〇としているとする)。また、とくに抗癌剤による白血球減少は、投薬中止後比較的速やかに回復する場合が多いとしても、その使用中止後もしばしば後効果(after effect)として、一ないし二週間から数週間にわたつて白血球減少を続ける場合がある。したがつて、末梢白血球数のみを指標として抗癌剤の投与を続けることは当然危険を招くことがあるので注意を要する(甲第三二号証の一、三―久保明良・がん化学療法の実際・昭和四六年)。(ニ)、臨床の現段階においては、既存の抗癌剤を用いて生体に対する毒性を少なくし癌細胞に対してより多くの抑制効果を示す各種の投与法の検討が重要な課題の一つとなつている、多剤併用療法(METT)は、マイトマイシンC二ミリグラム、エンドキサン一〇〇ミリグラム、Thio-TEPA(チオテパ)一〇ミリグラム、トヨマイシン0.5ミリグラムの四者を組み合わせ、METTI、Ⅰ'、Ⅱ、Ⅲ法としたもので、Ⅰ法は四日毎に四者を同時に併用する、Ⅰ'法は四日間連続して四者を併用し、一二日間休薬して次の四日間四者を同時併用する、Ⅱ法は毎日薬剤を交替して投与する、Ⅲ法は八日間一剤を連続使用し、次の薬剤に交替して投与する、いずれの方法も三二日を一コースとする。そして腺癌と未分化癌では、Ⅱ法が最もすぐれた成績が得られた<証拠略>。
(二) 西南病院において、原告に対し、昭和四二年四月一九日から同年七月一七日まで、抗癌剤であるマイトマイシン、エンドキサン、トヨマイシンを連続して(ただし休日を除く)投与したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、川瀬医師らは、原告について、肉眼的にはともかく、細胞学的には肝臓等への転移のあることが考えられるところから、原告の手術の経過による全身状態の回復するのをまち、抗癌剤投与の時期について検討していたが、山崎医師は、昭和四二年四月一七日、看護婦に対し、明日から下記注射を行なう、一八日マイトマイシン二ミリグラム静注、一九日エンドキサン一〇〇ミリグラム筋注、二〇日トヨマイシン0.5ミリグラム静注、以下このくり返えしとするとしたほか、検血(赤血球数、白血球数、ザーリ値)を週一回、検尿を週二回実施するよう指示した。そして、同月一九日、川瀬医師から、「手術の時補助化学療法をやつていないのでそろそろお願いします。」と重ねて指示があり、同日から現実に、エンドキサン一〇〇ミリグラム筋注(原告は一、〇〇〇ミリグラムの記載がなされているとするが、エンドキサン一アンプル一〇〇ミリグラムを一〇本とするのは異常であろう)をもつて、抗癌剤の投与が開始され、その後の抗癌剤投与は次のような順序でなされている(ただし、算用数字は日、Mはマイトマイシン二ミリグラム、Eはエンドキサン一〇〇ミリグラム、Tはトヨマイシン0.5ミリグラムを、休は投与を休んだことをそれぞれ示すものとする)。
四月、19E、20T、21M、22E、23休、24T、25M、26T、27E、28M、29休、30休。
五月、1T、2M、3休、4E、5休、6T、7休、8M、9E、10T、11M、12休、13E、14休、15T、16M、17E、18T、19M、20E、21休、22T、23M、24E、25ないし28休、29T、30M、31E。
六月、1T、2M、3休、4休、5E、6T、7M、8E、9T、10M、11休、12E、13T、14M、15E、16T、17M、18休、19E、20T、21M、22E、23T、24M、25休、26E、27M、28T、29E、30M。
七月、1T、2休、3M、4E、5T、6M、7E、8T、9休、10M、11E、12休、13T、14E、15T、16休、17E。
そして、同年四月二九日および三〇日は原告が外泊したということで投薬は中止され、同年五月一日からは右注射後、外来による化学療法として継続していたものであり、同月二五日から二八日までについては、山崎医師の指示により今週中化学療法を休んでみることとして、まず、同月二五日には、トヨマイシン0.5ミリグラム静注の記載が抹消されているが、その後二九日に再開したものであること、がそれぞれ認められ、右認定に反する証人川瀬常道の証言(第一回、一部、四月一三日から投与は誤解に基づくものである)、また、寺尾洋子の証言一部は、いずれも採用せず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
してみると、原告に対する抗癌剤の投与量は、マイトマイシン二二本四四ミリグラム、エンドキサン二三本二、三〇〇ミリグラム、トヨマイシン二三本11.5ミリグラムとなる。
(三) <証拠>によれば、原告の手術後再入院する昭和四二年七月二八日までのカルテ等による症状等は、次のとおりであることが認められ、これを動かすに足る証拠はない。
四月一四日(その前日手術完了)、腸の雑音は聞えない、夕方汚水を小量数回嘔吐する。同月一六日、洗腸により排便、排ガスあり、腸雑音はよく聞える。同月一七日、昨日から食餌を与える、嘔吐なし、手術創はきれいである。
同月一九日(抗癌剤投与開始)、腹部が軽度に動く。同月二〇日、手術創はきれい、本日抜糸。同月二三日、歯齦炎、下顎下のリンパ腺炎。同月二四日、腹痛の訴えはなし、食欲、睡眠良好、便通一日二回、腹部に腫瘍(Tumor以下同じ)触知せず、圧迫感なし。
五月四日(なお五月一日退院)、昨夜軽度発熱あり、食欲良好、便通一日一回、腸部に圧迫感なし。同月六日、37.1度C程度の熱があり、空腹感が強い。同月八日、微熱、(切創部に)腫張、軽度の圧迫感あり、同月一三日、退院時に比し、食思不振あり、貧血なし、微熱あり、左肩こりあり。(なお、原告は、同月一五日頃から脚気のような調子で、二階へ上るときなど、心臓がどんどんうつたという)。同月二四日、腹壁弛緩、腫瘍触知せず、圧迫感なし。同月二五日、夕方になると微熱あり。同月二九日、便通一回、下痢なし。同月三一日、全身の倦怠感、昨日まで下痢あり(三回)。
六月二日、歯齦炎、肩こり。同月三日、歯齦炎のため発熱、腹部所見なし。六月五日、心悸亢進、空腹感があるが、食欲不振、手術創の上部に腫瘍あり、やや増大する。同月一〇日、一般状態、食欲とも良好。同月一二日、少しやせた。同月一三日、口がにがくなる。同月一五日、微熱三七度C、心悸亢進、食欲不振、口がにがい。同月一六日、(手術創部を指示し)腫瘍(一)、膨張、腹部扁平、腹壁弛緩、肝臓、脾臓を触知せず。同月一九日、黒便(軟)、貧血なし、栄養状態かなり良好。同月二〇日、肝臓を触知、全身的倦怠。同月二一日、昨夜より下痢五回、腹痛なし。同月二二日、黒色の軟便、圧迫感なし。同月二四日、軟便。同月二六日、微熱、37.2度C。同月二八日、下痢。
七月一日、下痢時々あり、腹部に圧迫感なし、腫瘍なし。同月三日、食欲不振、貧血なし、腹壁弛緩、腫瘍触知せず。同月四日、倦怠感・軟便継続、現在乳幼児ミルクを常用している。同月六日、食欲少しよくなる。同月七日、奥さん運転の自動車に乗つたときめまい、嘔吐あり、木俵内科で受診、血圧一〇〇(西南病院では血圧五〇〜九〇)。同月一一日、昨日倦怠感強し、血圧四〇〜九〇。同月一二日、全身倦怠感。同月一九日、腹部腫瘍なし。同月二二日、最近少し歩くと心悸亢進(動悸)あり、頭ヅンヅンと来る、下痢。同月二五日、倦怠感あり、心悸亢進あり近頃ひどい、眼瞼結膜に軽度の貧血あり、下痢が続く、少しやせて来た。同月二七日、眼瞼結膜に貧血、心悸亢進、倦怠感あり。
(四) 西南病院における原告についての血液検査結果は、次のとおりであることが認められ(証拠は、検査日の下欄に記載)、これを動かすに足る証拠はない。
年月日
赤血
球数
(R)×104
色素量(Hb)%
白血球量(W)
好中球(Ne)
リンパ球(Ly)
単位(Mo)
好酸球(E)
好塩基球(B)
証拠
(いずれも検甲)
桿(棒)状核球(St)
分葉(節)核球(Se)計
四二・四・三
四九六
九四
八、一〇〇
六
五一
三一
七
五
一〇三
四二・四・一八
四五一
八〇
一五、七〇〇
一
六三
三四
一
一
一一五
四二・四・二五
四五七
八四
七、八〇〇
五一
四七
二
一一九
四二・五・二
四五一
八二
九、四〇〇
一二一
四二・五・九
三九九
八〇
四、三〇〇
一二四
四二・五・一六
四五五
八三
一〇、六〇〇
一二六
四二・五・二三
三七〇
六四
八、二〇〇
一二九
四二・五・三〇
四二一
七七
五、二〇〇
一三〇
四二・六・六
三七四
六九
六、四〇〇
一三五
四二・六・一三
三五一
六六
五、〇〇〇
一三六
四二・六・二〇
三七〇
六八
四、六〇〇
一三八
四二・六・二七
四二一
七五
六、七〇〇
一四三
四二・七・四
四三一
七六
六、一〇〇
一四五
四二・七・一一
三八九
七三
八、四〇〇
一四六
四二・七・一九
三七七
七一
六、四〇〇
一四八
四二・七・二五
三五四
六四
五、一〇〇
二
三九
四五
六
三
一四九
四二・七・三一
三〇五
五七
三、六〇〇
三
四〇
四八
七
二
一五二
四二・八・四
二六九
五〇
三、六〇〇
一五七
四二・八・八
二八〇
五二
三、六〇〇
一
二九
六二
六
二
一五八
四二・八・一一
二八七
五三
三、八〇〇
一六〇
四二・八・一五
二六四
四八
五、〇〇〇
二
三四
五八
五
一
一六一
四二・八・一七
三一二
六一
四、四〇〇
一六二
四二・八・二三
三三四
六二
四、九〇〇
一六三
四二・八・二五
三四〇
六五
五、四〇〇
一六五
四二・八・二九
三六四
六八
七、六〇〇
一六七
四二・九・一
三四七
六六
七、七〇〇
一六九
四二・九・五
三六五
六八
一〇、九〇〇
一七〇
四二・九・八
三九〇
七六
八、九〇〇
一七一
四二・九・一二
四〇四
七五
九、一〇〇
一七二
四二・九・一九
四一一
七七
八、七〇〇
一
五一
四一
四
三
一七三
四二・九・二二
四二二
八〇
八、九〇〇
一
五一
四二
二
四
一七四
四二・九・三〇
四〇五
七八
九、九〇〇
一七六
四二・一〇・五
四〇五
七五
七、五〇〇
一八三
四二・一〇・一一
三九五
七七
九、四〇〇
一八六
四二・一〇・一七
三六八
六九
七、四〇〇
一八八
四二・一〇・二四
三八二
六八
七、二〇〇
一九〇
四二・一〇・三〇
三四四
六一
六、七〇〇
一九三
四二・一一・七
三九〇
六七
七、四〇〇
一九五
四二・一一・一四
三八一
七二
八、四〇〇
一九七
四二・一一・二一
三七九
七〇
七、一〇〇
一九九
二〇〇
四二・一一・二八
三七五
七一
六、八〇〇
二〇二
四二・一二・五
三七〇
七一
七、〇〇〇
二〇四
四二・一二・一三
四三〇
七九
一〇、八〇〇
二〇六
四二・一二・二〇
四一七
七六
七、五〇〇
二〇八
四二・一二・二七
四〇五
七一
九、一〇〇
四
五七
三二
三
四
二一〇
四三・一・四
三九〇
七四
一一、一〇〇
二一二
四三・一・三一
三七〇
七二
九、九〇〇
二一五
四三・二・六
三九五
七四
九、一〇〇
二一七
四三・二・二〇
三五〇
六六
八、一〇〇
二一八
四三・三・一八
三六一
六八
八、五〇〇
二一九
四三・五・一三
三四一
六七
七、六〇〇
二二五
そして、<証拠>―金井泉・臨床検査法提要・一九六六年によれば、健康な男子の赤血球数は平均五〇〇万、血色素量は八五〜一一〇%、または、一八グラム、パー、デシリットル(g/dl)、白血球数は六、〇〇〇〜八、〇〇〇であり、これが五、〇〇〇以下の場合は、白血球減少症であるとしている。ほぼ同旨、証人川瀬常道の証言(第二回)。
(五) <証拠>によれば、抗癌剤の投与量については、患者の一般的状態を観察しながら、その条件の許す範囲で、なるべく、長期かつ、多量に投与することが臨床効果も良好といわれており、川瀬医師としても、原告の進行癌(ただし、弁論には初期癌との記載がある)について転移を防止し、癌の再発を防止するという観点から、大量の抗癌剤投与を考えていたこと。
同医師は、その投与方法について検討し、愛知癌センターにおいて開発された多剤併用療法(METT)のうち、消化器系統の癌に著効があるという第Ⅱ法を選択することとしたが、副作用の点では、マイトマイシンは骨髄機能、造血機能の抑制、エンドキサンは白血球減少は他より少ないが肝臓障害を起し易いこと、チオテパは悪心、嘔吐、下痢、白血球減少が、トヨマイシンは副作用は少ないが欠陥があること等から、右METTⅡ法を修正し、とくに副作用が強いと経験しているチオテパを意識的に落とし、副作用の少ないとみられる残余の三者によるいわゆるMET療法に従い抗癌剤を投与したこと(なお、チオテパ、エンドキサンはいずれもアルキル化剤に属する―<証拠略>)
川瀬医師らは、抗癌剤を投与するについては、何クール実施するかを予定せず、患者の愁訴、血液所見の状態等から中止の時期を考えていたが、白血球数三、〇〇〇から四、〇〇〇、とくに三、五〇〇をめどとし、中止後においても減少傾向が続くものであることをも考慮して治療を継続したこと、
山崎医師は、原告の五月一三日の症状として食思不振、微熱とあるのは、抗癌剤の副作用と考えてよいとし、同月二五日には、微熱があり、同月二三日の検査結果からも完全な貧血が認められることから、かなりの副作用によるものとして、今週中化学療法を休んでみると指示をしているところ、川瀬医師としても、その頃、抗癌剤の投与を中止しようかどうかと考え迷つたのであるが、原告が三〇代であり、若い人には治療後再発が早期にみられるとの経験から、あらためて同月二九日投与再開にふみ切つたこと、がそれぞれ認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
(六) そこで、以上認定の事実に基づいて、川瀬医師らによる抗癌剤の投与、および、これに際してとつた措置について、右医師に過失があつたかどうかについて検討する。
抗癌剤が、癌組織に対して選択的―特異的に作用せず、同時に正常細胞にも抑制的に作用し、副作用として骨髄の造血機能等を障害するものであることは前示のとおりであるから、医師としては、抗癌剤の投与については細心の注意を払い、患者について、白血球の減少等の検査結果のほか、臨床的に微熱、全身倦怠等の症状の発生がみられる場合には、右投与の中止時期についても特に慎重を期すべきものであることはいうまでもなく、右は、前示昭和三七年九月二四日保発第四二号厚生省保険局長通達によつても明らかなところである。
(1) ところで、前示医学説によれば、癌については種々の治療方法が講じられているが、これについて完全な治療薬が存在せず、抗癌剤の使用方法についても研究の途上にあるのが実情というべきであるが、癌の治療については、癌組織を切除するほか、原則的に化学療法を併用するべきものとされ(なお、証人神田正一の第二回証書)、右化学療法として愛知癌センター太田医師により開発された多剤併用療法(METT療法)も、重要な癌化学療法の一つであることが窺われるところ、原告は、川瀬医師が、右METT療法、とくに、そのⅡ法における四剤使用の意義、および、チオテパの薬効を誤解し、全く自己流のいわゆるMET療法を実施した点に過誤がある旨主張するのである。たしかに、原・被告双方から各提出にかかる医学説等を精査しても、川瀬医師が実施したMETⅡ法が発表されていないことは明らかであるけれども、まず、本件において、川瀬医師がMET(T)Ⅱ法を採用したことによる具体的弊害が必ずしも明らかでないばかりか、川瀬医師は、その経験に基づき、チオテパを意識的に避け、副作用の最も少ない結果が得られると考えられる他の三者(マイトマイシン、エンドキサン、トヨマイシン)の併用を考案したというのであつて、その研究の具体例への適用という色彩は否定できないとしても、既存の多剤併用療法を改善し、最少限の副作用による大きな抗癌効果を期待しようとした実践的意図を推知するに難くない(チオテパとエンドキサンがいずれもアルキル化剤に属することもこれを支持するであろう)から、右のようなMET(T)Ⅱ法を用いたことに医師としての落度はないというべきである。このほか、前示認定の事実に従えば、抗癌剤投与開始時において、それが指示どおり行なわれず、昭和四二年四月一八日、マイトマイシン、二ミリグラム静注をもつて始まるべきところ、同月一九日エンドキサン、一〇〇ミリグラム筋注により開始されているばかりでなく、また、抗癌剤投与の順序についても、M(マイトマイシン)、E(エンドキサン)、T(トヨマイシン)の順が指示されているところ、四月二四日T、二五日M、二六日T、二七日E、二八日M、五月一日T、二日Mとなり、同年六月二六日E、二七日M、二八日E、三〇日M、同年七月一日Tとなり、さらに、同月一三日T、一四日E、一五日T、一七日Eとなつて、その順序がくずれているけれども、前示METTⅠ、Ⅱ、Ⅲ法をみると、一剤の連続ないし間歇的大量投与の方法が認められており、証人川瀬常道の証言(第二回)によつても薬剤効果として問題はないとされるところであるから、西南病院における右投与順序の不整をもつて、医師に過失があると断ずることはできないのである。
(2) そこで進んで抗癌剤の投与量および投与中止の時期が適切であつたかどうかの点について審究するに、原告は、本件においては前示太田学説による一コースに比し約三倍の抗癌剤が投与されているとし、その過剰であることに医師の過失を結びつけようとするかに窺えるが、右学説も三二日を一コースとするとしてもこれを限界とするとは述べていない(しかも、チオテパを除外したMET(T)Ⅱ法では、与件に変更あることが考えられる)し、また、斉藤教授の説によつても、マイトマイシンCについて四〇ないし六〇ミリグラムに達すると中止のやむなきに至ることがあるとするが、右は頻度の高い臨床例の報告と解され、これを投与許容の限界量であるとまで主張するものとは考えられず、結局、血液検査結果による白血球の減少(傾向)、患者の愁訴その他による一般的状態により、投与中止の時期を決すべく、それとの関係で投与量が規定されざるを得ないところであると思料される。このことは、個体によつて差異を生ずる薬剤の感受性の問題が検知されず、宿主に対する副作用を事前に予知する方途が未開発である(証人川瀬常道(第二回)、および、同高野純行の各証言によつて認める)ことからも肯定されるところである。そして、原告が、五月上旬頃から微熱があり、同月下旬頃には倦怠感があつてすでに抗癌剤による副作用症状が認められ、血液検査結果においても、白血球数が、五月上旬頃には正常値以下、抗癌剤投与前の約半分である四、三〇〇に低下し、一進一退を経て、同年七月下旬から八月上旬にかけて三、〇〇〇台に落ちているのであつてみれば、右は、明らかに抗癌剤の副作用ないしその効果と認められるところである。しかしながら、川瀬医師は、右副作用を認知しながらも、抗癌剤の可及的多量の投与により、転移癌を撲滅し、かつ、再発防止の意図から、五月段階において一旦中断した投与を再開し、同年七月一七日、全般的状態をみて抗癌剤の投与を中止したというのであり、右抗癌剤投与時(昭和四二年)における学説の殆んどが、白血球の減少と抗癌剤の投与中止時期について、白血球数を約三、〇〇〇程度としており(なお、前示通達も三、〇〇〇としているところからみれば、右が、昭和四二年頃における医学の水準と認めるのが相当であろう)、原告に対する抗癌剤の投与の中止時、白血球数が右基準より以上であつたことにかんがみると、川瀬医師としては、抗癌剤の投与およびその中止について、医師として妥当な措置をとつたものと評さざるを得ず、従つて、原告が白血球減少症(前掲甲第一号証の一ないし五に従い、白血球数五、〇〇〇以下をそう規定するとして)になつたとしても、また、原告が再生不良性貧血に陥つたことは後に認定するとおりであるが、これらについて、川瀬医師に過失があつたとなすことはできない(なお、<証拠>によれば、右医師らにおいて原告から手術承諾書をえているが、原告に対し、結腸癌の診断に続く抗癌剤の投与(量)について説明せず、その投与を開始したことが認められるけれども、癌患者の予後に対する医師の責任上、右事実を知らせるべきか否かの判断は、その医師の裁量に委ねるのが相当であると考えられるから、右説明がなかつた事実から、直ちにそれらの処置が違法であるとする結論を導くことはできない)。
四、再生不良性貧血の診断
(一) 抗癌剤投与によつて生ずる貧血は、再生不良性貧血であり、臨床的には続発性貧血、脾機能亢進症、あるいは、骨髄内腫瘍細胞浸潤等を除外したうえで、全血球の産生が低下し、汎血球減少を呈するものといわれていることは当事者間に争いがない(なお、甲第二九号証の一、三―前川正ほか「再生不良性貧血の治療」治療五〇巻二号、一九六八年参照)。
よつて、貧血―再生不良性貧血ないし鉄欠乏性貧血に関する医学上の諸説につき、提出にかかる証拠等(書証についてはいずれも当事者間に争いがない)により、瞥見するに、(イ)再生不良性貧血とは、骨髄の造血現象が減退した状態をいい、その原因の一つとして抗癌剤があり、一般によくみられるのは赤血球、白血球、血小板の三成分がともに減少する型が多い。血液像は、正色性または高色性、正球性または大球性貧血で、再生能を示す網赤血球は減少する(甲第四七号証―服部絢一郎・貧血の診断と治療・一九七二年)、抗腫瘍剤としてのアルキル化剤(エンドキサン等)について生ずる医原性障害としては、顆粒球減少、再生不良性貧血等が、また、抗生物質(マイトマイシン等)による障害としては、白血球減少、再生不良性貧血および肝障害を伴なうものである(甲第四一号証の一、二―美甘義夫ほか共編・医療原性疾患・昭和四四年)。そして、証人川瀬常道(第二回)、同山崎洋二、同服部嘉之の各証言によつても右同旨の事実が、また、証人神田正一(第二回)の証言においても、抗癌剤の過剰、患者の体質等の諸条件によるとの限定を付してであるが、右同様の結論を維持していることが、それぞれ認められるところである。(ロ)赤血球形態から貧血を分類すると左記A表のとおりであり、また、貧血の生化学的特徴としては同B表のとおりである。そして、貧血の診断は可成りロジカル(Logical)であり、貧血発現の主なる機序がどこにあるかを追究することが、貧血の診断に直結する。(甲第二九号証の一、二―中尾喜久「ベッドサイドの診かたから鑑別診断へ」治療五〇巻二号、一九六八年)
A
赤血球の大きさ
大赤血球
正赤血球
小赤血球
色素指数
1.1より大
1.1~0.9
1.1~0.9、0.9以下
貧血の種類
○巨赤芽性貧血
ビタミンB12欠乏、葉酸欠乏
○骨髄機能充進
○急性出血後貧血
○溶血性貧血
○再生不良性貧血
○赤血球形成不全
○鉄欠乏性貧血
B
血清鉄μ/d
不飽和鉄結合能
鉄飽和率
血中
ビタミンB12量
血中葉酸量
鉄欠乏性貧血
↓
↑
↓
~
~
悪性貧血
↑~
↓~
↑~
↓
↓~
再生不良性貧血
↑~
↓~
↑~
~↑
~↑
(ハ)色素指数(Coior index)は、被検血液の赤血球数をR(一〇〇万単位)、色素量をHb(g/dlまたは%)とすると、次式によつて与えられ、正常値(正色素性)はそれが0.9ないし1.1である。(甲第四二および第四八号証―金井泉「臨床検査法提要」一九六六年、なほ、ほぼ同旨、証人川瀬常道(第二回)の証言)。
……重量単位のとき
……ザーリ単位のとき
(ニ)健康人男子では、血清トランスフェリン量は、二六〇プラス・マイナス二〇mg/dlであるが、その約三分の一が鉄と結合し(血清鉄一〇〇γ/dl)、約三分の二は鉄フリー(free)の形で存在し(不飽和鉄結合能)、鉄イオンによる中毒作用を防止する。血清鉄値とこの不飽和鉄結合能の和すなわちトランスフェリンを一〇〇%飽和する鉄量を総鉄結合能と呼ぶ(甲第四六号証―吉川春寿ほか編・血液の生化学―基礎と臨床―昭和四四年、なお同旨、甲第三九号証の三)。血漿中のトランスフェリンの濃度は、0.20〜0.32g/dlで、鉄二五〇〜四〇〇μg/dlの鉄と結合しうる。この量を血漿の総鉄結合能と呼ぶ。血漿鉄の正常値は、約一二〇μg/dlであるから、総蛋白の約三分の一はすでに鉄と結合しているわけで、この率を飽和率と呼ぶ。残りの三分の二は遊離の状態にあり未飽和鉄結合能と呼ぶ(甲第三六号証の一、二―松原高賢・鉄と血色素・昭和三八年、なお、証人藤井昌富、同秋田正一(第二回)の各証言)。(ホ)鉄結合能は疾患によつて変化するもので、鉄欠乏性貧血では、総ならびに未飽和鉄結合能は上昇するが、これに対し、再生不良性貧血、貯蔵鉄豊富なヘモクロマトージス、ヘモジデロージス等では、未飽和鉄結合能は著しく低下し、ゼロとなることもある(前掲甲第三六号証の一、二)。鉄欠乏性貧血では、血清鉄はきわめて低値(通常三五μg/dl以下)であるが、不飽和鉄結合能は増加している(三〇〇〜四〇〇μg/dl)(甲第四六号証、前掲)。
(二) <証拠>によれば、
原告は、昭和四二年七月一七日まで前示のとおり抗癌剤の投与を受け、その後も西南病院において、血液検査、尿検査を受けるなど治療を継続していたところ、体の状態が思わしくなかつたので、同月二八日、主訴眩暈として、あらためて同病院において山崎医師の診察を受けたが、全身的衰弱が目立ち、同医師は、原告について、顔色が悪い、急激に貧血を来しているとの判断からその旨報告するとともに、原告に注腸造影を指示した。そして、原告は、三浦医師により右造影を受けたあと、気分が悪くなつて休んでいたところ、医師から直ちに入院するようにとの指示があつたため、病室まで歩行して行き、そのまま入院、治療を開始することとなつた。そして、ビタミンB12についてはすでに再入院前から投与の指示がなされ、また、同月二七日には原告に対しすでにメサフィリン、フェロバルトの投薬のあつたところであるが、同月二九日から、医師の指示により貧血の治療としてフェロバルト、その他モリアミン、アリナミンの点滴が始められ、同年八月一六日頃からはフォリカール(葉酸が入つている)の投与が行なわれていたこと。
山崎医師らは、原告についての血液検査結果に基づき、同年五月二三日頃すでに完全な貧血を示し、同年七月二五日にも貧血を示していることを認識していたので、原告の再入院後の病名について検討し、原告について約三か月にわたる抗癌剤投与の事実は明らかであり、このほか、抗癌剤の投与にあつては、その副作用として再生不良性貧血等が生起するものであるとの学理的認識から、同月二八日頃、原告について、再生不良性貧血、白血球減少症、および、直腸癌―術後(この直腸癌については前示のとおり)との診断名を付し、その意見書が提出されたこと、
原告は、再入院時において、血圧一一〇ないし六〇、体重四六キログラムであつたほか、同年七月三一日には頭痛、頭重感があり、同年八月二日には、顔色は蒼白、眼瞼結膜貧血(この貧血はその後も八月中継続している)、眩暈、倦怠感を訴えるとあり、同年八月七日には、意見書(新)として、(1)直腸癌術後、(2)再生不良性貧血兼腎炎(四二・七・二八)と診断(以上再入院に際していずれの診断においても、原告について、低色素性ないし鉄欠乏性貧血の記載がない、もつとも、西南病院診療録には、貧血(低色素性)四三・六・四の記載があるが、右はすでに鉄剤投与完了後のものである。)され、川瀬医師としてもその診断結果について了承し、原告に対する鉄剤等の投与を継続しているところ、同年八月一六日頃には、原告の貧血状態が悪化したと判断し、A型一、〇〇〇CCの輸血を予定したことがあつたが、血液状態が改善の兆候をみせたことからこれは実施されずに終つたこと、
西南病院山崎医師らは、再生不良性貧血の診断については、一般的に貧血の種類の判断として、赤血球の大きさ、血色素量、臨床症状で判断して行くべきことを指摘しているが、前示の再入院時の診断に際しては、とくに骨髄を穿刺して髄液を採取し、これを検査するという方法はとらなかつたところであり、その他、再生不良性貧血の診断に必須と考えられる血清鉄、未(不)飽和鉄結合能その他の検査を実施した形跡がなく、川瀬医師としても、その診断について、血液検査結果だけでは十分ではなかつたとしていること、
川瀬医師らは、診断名として再生不良性貧血との記載がなされたことについて、それは抗癌剤投与後に骨髄の再生機能が荒廃したものでなく、その造血機能が減弱あるいは低下し―再生が不良という意味で書いたものである、あるいは、病理的に云えば再生不良性貧血でなく、右状態が進行すると再生不良性貧血となるという程度のものであつて、再生不能性貧血でない(近時骨髄抑制という言葉を使つている)ことはもちろん、再生不良性貧血としても骨髄機能が復元可能なものであつたとし、かえつて、原告の症状は、右のような意味での再生不良性貧血であるのみならず、低色素性―鉄欠乏性貧血が重複しているものであつたから、骨髄機能回復に際し、鉄が要るという考えから、鉄剤を使用したとし、その根拠として、血色素量(ザーリ)が低く、色素指数が一以下であること、原告についてはすでに消化管―結腸癌の手術を経由していること、ないし、原告の貧血に対する治療として鉄剤を投与することにより、八月以降比較的短期に赤血球が増大し、貧血状態が改善されていることから明らかであるとし、なお、川瀬医師において、血液学に、専門でなく、再生不良性貧血の症例も実際の経験はないが、本件において、原告の貧血を放置しておいて回復したかどうかは(文献には二、三週間で回復するとの記述があつたが)、不明であると述べていること、
以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。そして、被告において、西南病院における昭和四二年四月三日から同年一二月二七日までの原告の血液検査結果に従い計算の結果(別表(二)参照)、その色素指数は最高1.01、最低0.86であつて、これが文献による正常値0.85ないし1.05の範囲内にあるとし、色素指数上、原告については低色素貧血とはいえないと自認するに至つたものであることは、弁論の全趣旨―訴訟の経過より明らかである。
(三) 原告が、西南病院へ再入院する前後における血液検査結果については前に認定したとおりであり(前示三(四)の表参照)、その後における高知県立中央病院、中村市市民病院における原告の血液検査結果は、次のとおりであることが認められ(証拠は検査日の下欄に記載)、これを動かすに足る証拠はない。
(四) よつて、以上の事実に基づいて、川瀬医師らによる原告に対する再生不良性貧血という診断の適否等について検討を加えることにする。
イ 中央病院
年月日
赤血球数(R)×104
色素量(Hb)g/dl
白血
球数
(W)
網状赤血球(R1)
好中球(Ne)
リンパ球(Ly)
単球(Mo)
好酸球(E)
好塩基球(B)
証拠
(乙いずれも成立に争いがない)
桿(棒)状核球(St)
分葉(節)核球(Se)計
四三・二・二七
二五四
12.6
一一、二〇〇
二三―三九
四三・四・一
三六六
13
四、〇〇〇
二三―三七
四三・四・二
三二〇
10.9
八、六〇〇
二六
八
六〇
三一
一
二三―一七
四三・五・二八
二一二
10.6
九、一〇〇
一五
四六
三八
一
二三―一一
四三・六・一二
五
二三―六
四三・六・一八
二六七
11.2
六、一〇〇
五
一二
五五
三一
二
二二―四六
四三・七・五
三〇三
12.1
八、七〇〇
二二―四二
四三・七・一九
三二一
11.4
一一、三〇〇
二〇
九
六八
二一
二
二二―三一
四三・八・一〇
三四五
10.9
一〇、五〇〇
一四
二二―六三
四四・二・三
三〇〇
13.7
七、〇〇〇
三
六九
一六
五
四
二三―六四
四四・三・一七
四〇〇
13.3
五、六〇〇
二四
四九
二三
四
二三―五五
四四・五・一四
三〇一
13.9
一一、三〇〇
一〇
五七
二九
三
一
二三―五二
四四・一二・一
四三八
13.4
九、〇〇〇
一二
六一
二四
二
一
二三―四八
ロ 市民病院
年月日
R×104
Hb%
W
R1
Ne
Ly
Mo
E
B
証拠(検甲)
St
Se
四四・一・一一
四二二
九三
八、八五〇
四
五五
二七
六
八
二二七
四四・三・一〇
四一五
八四
一二、〇五〇
五
七一
二二
二
二二八
四四・四・一四
三六二
八四
九、一五〇
六
五九
二六
七
二
二三一
四四・五・九
三二九
七九
九、〇〇〇
九
五〇
三四
三
三
一
二三二
四四・六・一二
三四四
八四
九、五五〇
三
六〇
二八
五
四
二三三
四四・九・九
四一二
九八
九、三〇〇
二
五五
三五
四
四
二三八
四四・一一・一二
四二五
九五
一一、三〇〇
六
五九
二九
五
一
二四六
四五・一・六
四〇四
九三
一一、四〇〇
四
五三
三二
七
四
二四七
四五・二・一三
三七七
八二
一〇、三五〇
二
六
六〇
二七
五
一
一
二五二
原告の血液検査結果が、術前ないし抗癌剤の投与前において正常値を示したことは前示のとおりであり、その後、西南病院において抗癌剤の投与が行なわれ、その検査結果の経過によれば、赤血球、白血球がともに減少する傾向を示し、他に右減少に原因を与える条件が見出されない以上、原告の貧血の原因は、原告に対する抗癌剤の副作用によるものと認めるのが相当であるから、川瀬医師らにおいて、原告の再入院時の病名として再生不良性貧血(原因が判明しているといういみで続発性)を考えるのは当然であり、前示抗癌剤の副作用として定説ともいうべき諸学説に従い、かかる結論をとつたことはむしろ自然の経過であつたと云うべきであろう。もつとも、右診断に至る資料としては、原告の血液検査結果および一般的症状に限定され、とくに血清鉄等についての検査に対する配慮がなされず、原告が再入院した当日ないしその一〇日後の間に、右再生不良性貧血、白血球減少症との診断がなされ、その貧血がいかなる種類のものであるかを確定することなく、直ちに鉄剤の投与を実施し、しかも、前示のように、右診断と同時になされた直腸癌の診断が明らかに誤記であると認めざるを得なかつた経過的事実に照らせば、同医師らについて、診断、ないしは、文献の探索が必ずしも十分でなかつたのではないかと推測せしめる余地がなくはないところであるけれども、なお、その他特段の事情がない限り、右診断は、結局正当なものとして維持すべきものと考える。そして、いずれにせよ、川瀬医師らは、西南病院における原告の治療の経過について、再生不良性貧血としても、それは単に骨髄の造血機能が低下しているにとどまるとし、その診断の結果として、カルテ等にその旨の病名を記載し、その後、同病院において右病名が変更・修正されたことがないとの事実は重視されてよいであろうし、原告の血液検査結果を通見しても、白血球数は、昭和四二年八月を底として回復に向い、その後ほぼ正常値を維持するまでに至つているが、赤血球数は、四〇〇万前後から回復しないばかりか、原告が中央病院等で治療を継続する間においても変動の大きい数値を示し、とくに、昭和四三年五月および六月頃には二〇〇万台を記録し、正常値の約半分に低下しているところであつて、このほか、成立に争いのない乙第三二号証(小宮悦造・実地医家の血液学、昭和四二年)、および、証人秋田勇(第一、二回)の証言によれば、中村市民病院秋田医師としては、昭和四五年二月一三日網状赤血球が二%と減少していることが再生不良性貧血を示すものであるとし、同病院において同年五月頃原告に対して使用のコバルトグリンボールは、再生不良性貧血に対し比較的薬効のあることが報告されていることが認められ(これを覆えすに足る証拠はない)、以上の事実に従えば、原告は、骨髄機能が廃絶したいわゆる再生不能性貧血ではないが、骨髄の造血機能が障害されてこれが減退したとみられる再生不良性貧血に陥つたものであつて、その後若干の改善はみられるけれども、なお、十全な回復をみないまま、それが一応継続しているものと推定せざるをえないところであり、これに対し、右造血機能が一時的に低下したにすぎないとする証人山崎洋二の証言(一部)は採用することができない。なお、被告は、それが再生不良性貧血であるとしても可逆性を有するものであると主張するものであるが、有機体の病変についての可逆性の意味、その可逆性判断の基準が必ずしも明らかでないばかりか、完全回復を肯認せしめるに足る資料はなく、被告の右主張にそうやに窺える証人神田正一(第二回)、同川瀬常道(第二回)、および、同服部嘉之の各証言(各一部)はいずれも採用することができない。
このほか、被告は、原告は再生不良性貧血でなく、低色素性貧血―従つて鉄欠乏性貧血であると主張し、前示のとおりこれにそう証言部分も存在したのであるが、後、被告においてこれが低色素性貧血でないと自認するに至つたことは前示のとおりであり、右の事実に、証人服部嘉之、同高野純行の各証言、および、原告の血液検査結果から認められる色素指数を勘案すると、原告が低色素性貧血でないことはすでに自明である。また、被告は、プライスジョーンズ曲線を解説し、原告について、大赤血球性質貧血従つて悪性貧血があつたかのように主張するところ、<証拠>によれば、県立中央病院における昭和四三年六月一二日頃の検査結果として、原告の赤血球が、通常人より約一ミクロン右方(大きい方)に移動していることが図示され、あるいは、大赤血球性の貧血が考えられてよいとされていることが認められるけれども、他方、成立に争いのない甲第四八号、および、証人服部嘉之の証言によれば、正常赤血球の大きさは六〜九ミクロン(平均7.5〜8.0ミクロン)であるとされているところであり、しかもその数値からみても、そのずれは僅かに一ミクロンであつて著明な差と考えないとされ、その他、原告の血液検査の結果、色素指数が正常であることは、被告の自認するところであるから(なお、前示表A参照)、右曲線の結果から、直ちに悪性貧血と結論することはできない。
五、鉄剤の投与
(一) 医師が患者に貧血を発見した場合、貧血即鉄欠乏性貧血と考えることは許されず、適確に治療するためには、まず、正確な診断、原因の詳細な検索、および、病態生理の十分な把握が必要であること、右の結果、再生不良性貧血の場合には鉄剤投与は治療に効果がなく、鉄欠乏性貧血の場合に始めて鉄剤の投与が有効であること、その理由が、鉄剤を摂取するとほとんど排泄されない生理機構であり、その過剰投与により臓器への鉄沈着を来し、これに実質障害を与えるものであること、および、鉄の代謝ならびに鉄消耗量についての原告の説明については、いずれも一般論として当事者間に争いのないところである。
そこで、貧血と鉄剤の投与の関係を医学説等によつてみるに(引用の書証についてはいずれも成立に争いがない)、(イ)、一般的な造血剤である鉄剤は、再生不良性貧血の場合には使用されない。再生不良性貧血の血清鉄は異常な高値を示すからであり、無効なばかりでなく、ときに有害ですらある、再生不良性貧血に多用されて来た造血剤としては葉酸、ビタミンB12、コバルトグリンボール等があり、輸血は本症の治療に欠かすことができない(甲第三三号証の一、三―梅原千治「再生不良性貧血」内科二五巻六号、一九七〇年、ほぼ同旨、証人山崎洋二の証言。もつとも、甲第二九号証の三は、ビタミンB12、葉酸につき著効する可能性が低いとしても、造血効果が多少とも期待され、かつ毒性をみない製剤ならその投与に反対する理由はないとする)。血清鉄値が著しく低下し、不飽和鉄結合能が上昇し、したがつて鉄飽和率が低下するのは鉄欠乏性貧血で、鉄がおそらく有効であろうと推定される。これに反し、再生不良性貧血では鉄は造血に利用されないので血清鉄はむしろ高値を示し、不飽和鉄結合能の幅が狭くなる。この場合、血漿鉄消失速度は延長し、赤血球への鉄利用率は低下する。これは丁度鉄欠乏性貧血と対照的な所見となる(甲第二九号証の一、二、なお、証人服部嘉之の証言も以上と同旨である)。(ロ)、鉄欠乏性貧血についても、非経口的鉄剤療法の適応は、その重篤な副作用から、経口投与に耐えられない場合、消化管の鉄吸収不全のある場合、急速に貯臓鉄を補填する必要がある場合、胃腸障害がある場合等に限られる<証拠略>。非経口的に鉄剤を投与する場合には、その投与量を厳重に制約しなければならない。生理的には鉄剤が体外に排泄されにくいものであるだけに、不必要な過剰投与は鉄が臓器に沈着する恐れがあるからである、低色素性貧血を治療するに必要とする鉄量は、大体次のような方法で概算しうるが、多くの場合総量が2.5グラムを超えないようにすれば安全である(甲第三九号証の一、四―沖中重雄編著「内科書下巻」呉・坂本著一九七一(初版一九三四)。
式……〔0.4(100−X)+17〕×W―mgただし、Xは患者の血色素量ザーリ値で、Wは体重(kg)である。
西南病院医師が、原告に対し、昭和四二年七月二八日から同年九月一五日まで、一日一回、五〇ミリグラムの鉄剤フェロバルトを静注し、さらに、同年一〇月七日から昭和四三年二月二〇日まで(休日等を除き)、右同様の鉄剤を静注したことは当事者間に争いがなく、また、右医師らが、原告の貧血に対する検索をせず、再生不良性貧血との診断に基づき、右のような鉄剤の投与を開始したことは、前に認定したとおりである。
<証拠>によれば、
原告は、昭和四二年七月二七日、西南病院で、ビタミンB12一〇〇〇γ、フェロバルト一アンプル(静注)等の投薬をうけ、同月二八日の再入院時には、アリナミン一〇ミリグラム、フェロバルト五〇ミリグラム(一〇CC、以下同様)の静注を受け、医師から、同月二九日からフェロバルト五〇ミリグラム毎日静注との指示が出され、同月三一日には、鉄剤の経口薬であるヘマトン(造血剤)の処方が指示され、これらに基づき、同月二九日から、フェロバルトのほかアリナミン二ミリグラムなどの投薬が、同三一日からは、ヘマトン(ただし、八月二二日から三一日まで、および、九月七日には中止されている)、白血球増加剤ロイコンが、さらに、同年八月一六日からはフォリカール(葉酸)の投薬がすすめられ、これが、同年九月一五日まで(ヘマトンは同月二二日まで)継続していること、そして同年一〇月四日にはヘマトン、アリナミンが、同月六日にはフォリカール、アリナミンが、同月七日からはフェロバルトの投与のほか、フォリカール、ヘトマン等が処方される等の経過を辿り、とくに、同年一二月一一日からはフォリカールが連続投与され、昭和四三年二月に至つているが、同四二年一〇月七日から、同四三年二月二〇日に至る間に、フェロバルトは合計八〇本に達していること(従つて、経口鉄剤ヘマトンの服用を度外視し、右フェロバルトのみについて、その投与総量を集計すると、一三〇日、六、五〇〇ミリグラムとなる)。
山崎医師としては、再生不良性貧血の診断を下したのであるが、ザーリ値の低下と赤血球の減少ということから低色素性の貧血をみてそれ以上の検査を実施しなかつたというのであるが、服部医師(専門は内科)らは、鉄剤の投与量については、患者の体重と、正常のヘモグロビンと患者のヘモグロビンの差から公式をたてるもので、同医師は、従前四〇ミリグラムの鉄剤を四〇ないし五〇本使つたことはあるが五〇ミリグラムを半年間も継続することは医師としてまず考えられない量と思う、もつとも治療の経過により鉄が下つたりするからこれを使う必要が生ずることもあるが、抗癌剤による鉄欠乏性のものに鉄剤を投与した例は少ないとし、また、神田医師も六〇パーセントのザーリ値を示すものに対する鉄の静脈注射の許容限度は約一、〇〇〇ミリグラム(一〇〇マイナス六〇=四〇、これに二五をかけるとの計算法による)であるとしていること、
川瀬医師らは、右貧血に対する鉄剤投与の方法として輸血も考えたのであるが、血清肝炎に罹患する率が高いことからこれを避け、また、経口投与によらなかつたのは、原告に胃の症状があり、後にわかつたことであるが無酸症であつて、鉄剤は胃腸に障害を来すものであるから、その内服薬を与えても無効と考えたとしているところ、同年一〇月六日付で原告につき無酸症でないかとの検査報告がなされていること<証拠略>、これに対し神田医師は、鉄剤については経口投与が原則であつて、無酸症の場合は、経口薬服用前酸の補給をし、経口的に投与できるようにしていると云つていること(なお、成立に争いのない甲第三五号証の二は、鉄欠乏性貧血患者に有機鉄剤を投与した場合の吸収率は、それら患者の胃液の酸度とある程度の相関のあることがわかる、低酸症・無酸症の患者に対し鉄剤を経口投与する場合に塩酸を併用することは吸収を促進する一助になると考えられるとする)。
さらに、神田医師は、鉄剤が経口的に投与された場合には、吸収面で粘膜遮断があり、不必要な鉄はそのまま通過し便とともに排出されてしまうものであり、従つて、内服薬においては少々多量に投与しても、全然影響がない、しかし、注射による場合には、血液の中に入り人体の組織に沈着する―実質臓器に沈着する場合と間葉性組織(網内系細胞)に沈着する場合とがある―と指摘していること、
川瀬常道および神田正一医師は、昭和四五年四月上旬頃、原告代理人徳弘寿男方を訪れたことがあり、双方の間で、原告に対する治療ならびにその善後措置等について交渉がもたれたのであるが、西南病院から改めて回答をするということでその日は別れ、その後、右代理人から同月八日付で、右川瀬医師に対し、「中野の鉄分過剰となつた処置の誤りについては、貴殿も率直に認められ、誠意ある御回答を下さるとのことでお待ちしておりますが、その後どのように進展しておりますでしようか」との文言を記載した私信が届けられたことがあり、それに対し、川瀬医師から、右代理人に対し、二回にわたり私信があり、この問題が公務に関し、川瀬医師の一存で処理することもできないが、速やかな解決を計りたい旨述べているところ、右交渉の経過について、証人神田正一は、原告代理人による「そのとき川瀬医師が癌でないのに癌と診断したことが誤りであるということは医師として認めるわけにはいかない。しかし、鉄を過剰に投与していることは認めるという話をしたのを覚えておられますか」との質問に対して沈黙し、はつきり記憶していないという返答をしたが、原告代理人から川瀬医師への私信の内容については、別に違つたところがあつたとは感じなかつたと述べていること、
以上の事実が認められ、乙第三号証中、フォリカール、七月三一日から九月一二日まで投与とある部分、原告本人尋問の結果中、鉄剤の投与が人体実験であるとする部分は、いずれも採用せず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
(三) よつて以上の事実関係に基づいて、川瀬医師に、鉄剤の投与ないしこれに際してとつた措置に過失があつたか否かについて審究する。
まず、原告が、昭和四二年七月二八日の再入院時、再生不良性貧血に陥つていたことは前示のとおりであり、後に認定する県立中央病院および中村市立市民病院における血清鉄および不飽和鉄結合能についての検査結元(後出六、(三)の検査結果表イ参照)に従えば、原告は右再入院時においても、再生不良性貧血の特徴としてみられる不(未)飽和鉄結合能は低下していたものと推認することができるところである(もちろん、抗癌剤投与による副作用として骨髄の造血機能が減退していることは前示のとおり)。そして、かかる再生不良性貧血については、一般に鉄剤の投与が無効であるばかりか有害であるとされるところであつて、鉄代謝の生理機構としてはそれが排泄され難いものであるため、鉄剤が過剰に投与されると、臓器への鉄沈着を来し、肝臓等の機能障害を惹起するものであるから、医師としては、鉄剤を投与するに当つては、患者の貧血についての正確な診断、そのための原因等の十分な探索が必要であり、さらに、鉄剤の投与を必要であると認める場合においても、その投与量をあらかじめ算定して過剰にならないよう細心の注意を払い(非経口投与の場合は確実に体内に入るからこの要求はとくに大きいと思料される)、その投与の方法についても患者の症状に応じ最も適切な方法を選択する等万全を期すべき注意義務を要求されているものと解するのが相当であろう。よつて、以下検討をすすめる。
(1) 川瀬医師らは、原告について、血清鉄の測定を実施せず、また他にこれを依頼することもなく、再生不良性貧血(続発性とみられる)の診断名を付し、しかも、直ちに鉄剤の投与を開始しているところであるから、この点においてすでに右医師らについて検索の懈怠があるばかりか、本件訴訟の経過においても、鉄剤の投与と貧血の関係について動揺しているとみられる説明をしていること、とくに、同医師らは、低色素性貧血として鉄剤の投与を行なつたとしているなど、色素指数および血清鉄等、貧血の種別を判断する方法についての配慮・認識が欠けていたのではないかの疑いがもたれるところである。被告はこれに対し、原告の貧血は低色素性貧血であると主張したが、右が採用できないことはすでに指適したところである。そして被告は、さらにまた、再生不良性貧血でも骨髄の造血機能が低下しているにすぎず、鉄剤を補充する必要がある旨主張し(なお、<証拠略>)、鉄剤の投与が有効であつたことは、後に原告の赤血球が増加していることから明らかであるとするのである。しかしながら、貧血の種類を十分探索することなく、従つて鉄剤により造血機能そのものが賦活されるものであるか否かの点を解明せず放置したままであつた以上、右は単に鉄剤投与の結果論を述べるにすぎないと考えられる点はさておくとしても(証人神田正一の第二回証言では、低色素性であるため、結果論として鉄剤に反応したとすらしている)、低色素性貧血ないし鉄欠乏性を伴なう再生不良性貧血なるものは、川瀬医師がそういう文献があると証言する(同証言、第二回)以外、かかる特異な貧血の類型は一般に認められていないものと窺えるところであり、貧血をその原因等により峻別して考えて行くとすると、再生不良性貧血について若干鉄剤の投与が可能としてもなお鉄欠乏性貧血について鉄剤が必須とされているのとは自ら大きな差異が存在するものというべく、従つて、原告に対する再生不良性貧血を全く前提としていないとしか思われないフェロバルトの大量投与は、かなり疑問視されてよいところであろう。のなみらず、原告は、昭和四二年七月一七日、抗癌剤の投与を中止し、同年八月中旬頃に、抗癌剤投与による後効果が、ほぼ極点に達していたとみられるところであり、しかも、同年七年二七日、再生不良性貧血について有効とみられるビタミンB12が、同三一日白血球増加剤ロイコンが、さらに、同年八月一六日からはフォリカール(葉酸)が、それぞれ投与されているのであつてみれば、原告における貧血の改善は、抗癌剤の投与の中止その他右のような薬剤の投与によるものと認めることも可能であつて、鉄剤の投与と右貧血の改善を直ちに結びつけることはできないというべきである。証人秋田勇(第一回)の証言中、癌となつて使う場合は鉄欠乏の貧血が多いとする部分は採用できない。
(2) ついで鉄剤の投与量についてみるに(もちろん、再生不良性貧血についての基準とするものでない)、正常人の体内の鉄量が約四、〇〇〇ないし五、〇〇〇ミリグラムであることは当事者間に争いのないところであり、前示再入院時の原告の体重が四六キロラムであることは、前に認定したとおりであり、また、同四二年七月下旬頃のザーリ値は、同月二五日、および、同月三一日を平均すると約六〇パーセントである(前示三、(四)の西南病院における血液検査結果参照)から、これらの数値を、前示低色素性貧血の場合の限界値を示す式に代入して、その場合の一定の限界を画定すると、〔0.4(100−60)+17〕×46≒1500(mg)となり(右数値は前示神田医師の数値より大であるが服部医師の経験による最大限の数値――一、六〇〇〜二、〇〇〇mg――とほぼ一致する)、前示原告に対する鉄剤の投与量合計六、五〇〇ミリグラムは、右限界をはるかに超過し、さらに、正常人の体内における鉄総量をも著しくこえていることは明らかであり、しかも、原告が再生不良性貧血である点、および、原告に対しては別に内服用鉄剤ヘマトンの経口投与がなされていたものと認められるところであるから、これらの事実を右数値を修正する条件として併考すれば、原告についてかりに若干の鉄剤の投与が必要であつたとしても、なお、かかる鉄剤投与の異常であることに変更はないと云わざるを得ないところである。なお、鉄剤を投与する方法としても、経口投与が原則とされるところであり、これに従つた場合には、右のような大量の鉄が体内に入ることはなかつたものと考えられるところ、川瀬医師は、原告が胃腸疾患(なお無酸症との事実は鉄剤投与開始後約二か月を経過した時点の報告である)であつたことをもつて、非経口投与(静注)を選択した理由とするのであるが、右のような場合には、経口による鉄剤投与を可能ならしめる措置をとることが先決であるとさえ考えられるところであるから、右の疾患をもつて、直ちに鉄剤の静注を正当化する事由とすることはできない。
(3) しかして、前示原告代理人方における本件訴訟提起前の交渉の経過に照らせば、川瀬医師において、原告に対する鉄剤の過剰投与について、その処置の誤りであることを自ら是認していたものと推認できるところであつて、この反証はない。
してみると、川瀬医師(山崎医師も関与しているけれども、川瀬医師がその治療についての責任者であることは、弁論の全趣旨より明らかである)は、貧血の種類の検索を怠たり、鉄剤の投与についてもその量および方法を算定、考量すべきところこれを怠たり、原告に対し右のような大量の鉄剤を投与するに至つたものと評すべきであり、従つて、医師としての業務に照らし、川瀬医師について、右の点において注意義務違背による過失があるものと判断せざるを得ない。よつて、ひきつづいて、右鉄剤の過剰投与により、原告に対し、続発性ヘモグロマトージスなる傷害を与えたものであるか否かについてえることとする。
六、続発性ヘモクロマトージス
(一) 原告は、鉄剤の過剰投与によりヘモクロマトージスに陥る傷害を受けたと主張し、これに対し、被告は、右は単に血液学的な症状にとどまるもので、かえつてヘモジデロージスでなかつたか(かりにヘモクロマトージスの疑いがあつても、二次性のものであり可逆的である)とし、さらに血清鉄の上昇は、原告の持病である肝炎によるものであると反論しているので、以下、その判断の前提として、ヘモクロマトージス等に関する医学上の諸説について、提出にかかる書証(いずれも成立に争いがない)に基づいて、瞥見する。
(イ)、体内に過剰の鉄が沈着する状態にはヘモクロマトージスとヘモジデロージスとがある。ヘモクロマトージスは全身組織の鉄沈着―皮膚、肝、膵に最も顕著―および線維化を来し、臨床的には、肝硬変、糖尿病、皮膚の色素沈着、性機能不全を四主徴とする比較的まれな疾患である。ヘモジデロージスという名称は体内の鉄沈着する組織部分が正常状態とあまり差異がなく、人体に与える障害も殆んどない場合を指している。ヘモジデロージスは、体内で血色素の分解で鉄がよけいに放出される場合(溶血性諸疾患、慢性心疾患、慢性腎炎など)、あるいは、輸血、鉄剤経口投与などの場合にみられる。臨床の上でも、糖尿、睾丸の萎縮、皮膚色素沈着などの所見がみられず、肝、脾以外の組織における鉄の沈着もほとんど見られない(乙第三〇号証―現在内科学大系・消化器疾患Ⅷ、一九六四年(第一刷発行一九六二年)、甲第三九号証の一、二、同第四四号証の一、二、乙第二六号証、なお、その呼称について、甲第三八号証の二は、ヘモクロマトージスを血色症、ヘモジデロージスを血鉄症とする)。(ロ)、ヘモクロマトージスについて……肝硬変、糖尿病および色素沈着が古典的な三主徴であり、肝、膵、心、内分泌臓器の実質細胞の鉄沈着と組織障害、そのうちの少なくとも一個以上の臓器の機能障害を示すものを一般的にはヘモクロマトージスと診定する。臨床症状としては、皮膚の色素沈着、糖尿、肝腫がもつとも高率にみられるが、古典的三主徴が全部そろうとは限らない。このほか、衰弱、全身倦怠、貧血、陰萎、浮腫などを主症状とする。血液学的所見として、血清鉄の高値(二〇〇〜四五〇γ/dl―ただし正常値、低値を示すものがあることは注意を要する)、トランスフェイン量は一般的には滅少し……、血清鉄飽和度は例外なく異常高値を示した。諸家の報告では貧血が症例の三〇〜五〇%にみられるが、筆者らの観察例ではザーリ値八〇%未満は一例のみであつた(諸家の報告例の中に再生不良性貧血に続発したヘモクロマトージスの混入を否定しえない)。その原因として、多くの臨床家は本症にいわゆる本態性と続発性の両型があることを疑わない。続発性の原疾患は従来、再生不良性貧血に大量輸血(多くは診定以前に長期間の鉄投与も行なわれている)したものに見られている(甲第四六号証―前掲)。(ハ)、その他、血清鉄結合能(―RATHによるmcg/dl)は、正常男子で約一〇〇であり、不飽和鉄結合能はその約二倍であるが、ヘモクロマトージスの場合は、血清鉄が約二〇〇mcg/dl以上となり、未飽和鉄結合能はゼロとされている(乙第二九号証―現在内科学大系・血液、造血器疾患―、一九六〇年)。血清鉄飽和度の著しく高いヘモクロマトージスの場合肝臓へのInflux(注入)は増し、Effleux(滲出)は減少すると思われ一種の悪循環を生む可能性があると考える(乙第二六号証)。近年の除鉄剤(Desferrioxamine)の使用によつて、尿中鉄排泄量の増加とともに臨床症状が改善してくる事実は、本症(ヘモクロマトージス)発生の第一段階における鉄の役割についての解答はできないとしても、少なくとも本症発生後の症状、臓器の機能障害に、鉄沈着が有意の役割を演じていることを示している。肝の鉄沈着にかかわらず、肝機能障害の検出率は比較的低い(甲第四六号証―前掲)。なお、(ニ)、血清トランス編みなーぜ―GOTとGPTの変動が肝疾患の診断に利用される。GOTは心筋、肝細胞、骨格筋に、GPTは肝に多く含まれている。正常値はGOT―五〜四〇、GPT―〇〜三五であり、肝硬変では正常ないし軽度の上昇(五〇〜一〇〇単位)を示す。乳酸脱水素酵素(LDH)は、GOT、GPTと同様に肝実質障害のさいに増加する。また肝の悪性腫瘍でも増加がみれる(甲第四三号証―吉利和・内科診断学、一九六九年、一九六六年第一版)。
(二) <証拠>によれば、原告が西南病院を退院した昭和四二年九月二二日以降における症状等は次のとおりであることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
原告は、昭和四二年九月二二日西南病院を退院し、同病院に通院しているが、同月二七日頃から顔、下肢に浮腫がある。同年一〇月四日、顔にむくみがあり、動くと下肢に浮腫が生じている。同月九日、下痢、血圧は一一六〜七〇mg。同月一一日、顔面の浮腫は改善、同月一八日、眼瞼結膜に貧血は大してなし。同年一一月一日、血圧一一四〜七四mg、食欲は必ずしもよくない、下痢気味、両下腿にしびれ感あり。同月八日、下肢に倦怠感、貧血は変らず。同月一四日、血圧一一〇〜七〇、胸が苦しく、下肢が浮くとの訴え、しかし浮腫なし。同月一五日、下肢に浮く感じがある。同月二七日、心悸亢進、栄養相当快復し、大体正常となつた。同年一二月二日、ふるえ。同月六日、時々心悸亢進、顔面に腫張感あり。同月七日、心悸亢進ありという。同月一九日、眩暈時々あり。同月二七日、顔貌は普通、貧血。同四三年二月二日頃、心悸亢進あり。同月一二日、眼瞼結膜に軽い貧血、栄養は大体正常。同月一三日、食欲正常、全身倦怠。同月二一日、腹部に重い感じ。同月二三日、心臓収縮期性の軽い雑音を僅かに聴収できる、心電図頻脈あり。なお、同病院でのカルテには、同年五月一三日、倦怠感、軽度の貧血。同月一七日にはなお軽度の貧血との記載がなされている。
原告は、昭和四三年二月二七日、高知県立中央病院で診察を受けているが、西南病院浦野医師の紹介状によれば、肝機能は殆んど良いとの記載がある。中央病院の内科診療録(乙第二三号証の一)には、動悸、肢、眼の周囲に浮腫、だるい、低血圧、頭がふらつく、昭四三・二・二七本院外科で胃炎と診断されている、既往症昭一九〜二〇腎性の浮腫、脚気、昭四一〜四二慢性肝炎との記載がある。そして同病院における経過は、昭和四三年三月一二日、X線で胃透視、胃炎著明。同年四月二〇日、貧血の原因迫求のこと。同年五月二八日、皮膚は黒色、少し黄疸気味。同年六月一八日(前日入院)、顔の写真―色素沈着の処―、デスフェラールを又もらうこと、チバ。同月二一日、二五日に、それぞれ、二次性ヘモクロマトージス、貧血との病名を付し、内科から、足に発疹がある、皮膚のビオプジー(組織検査)お願いしますとの記載がある。同月二六日頃、歯齦に異常色素沈着(黒褐色)。同年七月四日、顔色よくなつて来た、デスフェラールの使用始めて下さい。同月一八日、眼瞼結膜貧血性、病名―口腔粘膜の黒色症、色素沈着は、上皮基底層におけるメラニン沈着によるもので他の異常は認められません、アジソン氏病を考えさせるような像はないでしようかとの返事でしたとの記載がある。同年八月八日、今朝下肢の倦怠感、頭痛。同月一〇日、肩こり感、頭痛。同月一二日、眼瞼結膜貧血性、階段をのぼると動悸あり、同月一四日、頭痛、下肢倦怠感、肩こり。八月一六日、退院、同日までにデスフェラール五〇〇mg二〇本を打つているとの記載がある。
その後、中央病院の診療録(乙第二三号証の四四、四五)には、顔貌および皮膚粘膜褐色のよう、眼瞼結膜たいして貧血なしとの記載があり、昭和四四年三月八日、眼瞼結腹貧血。同月一七日、倦怠感時々。同年五月一四日、鉄剤は使用していない、体の色は白くなつた、時々脱力(無気力)感、眼瞼結膜に貧血、血圧一二五〜七〇、同年一二月一日、肝機能は改善ということで少し動いたところ、倦怠感をもつ、眼瞼結膜に貧血、同月二〇日、倦怠感なおあり、血圧一一四〜七四mg。内科診療録(乙第二三号証の六七、六八)には顔貌として褐色の色素沈着、皮膚粘膜に色素沈着ありと記載されている。
(三) 原告についての諸検査結果―血清鉄・不飽和鉄結合能、GOT、GPTなど、および、血糖定量は、次のとおりであることがそれぞれ認められ(証拠は検査日の下欄に記載)、これを覆えすに足る証拠はない。
イ、
年月日
(病院)
血清鉄γ/dl
総鉄結合能
不飽和鉄
結合能
(UIBO)
証拠
(乙号証につき、
成立に争いがない)
四三・四・二
中央病院
二〇五
乙
二三の一五
四三・五・二八
〃
一八〇
〃
二三の九
四三・六・一八
〃
二二〇
〃
二二の五一
四三・七・九
〃
二〇五
〃
二二の三九
四三・八・一三
〃
二一〇
〃
二二の五七
四四・二・三
〃
一三五
10
〃
二三の六一
四四・三・八
〃
一六五
49.8
〃
二三の五六、五七
四四・五・一四
〃
二二〇
〃
二三の五三
四四・九・一一
中村市立市民病院
一八三
二一八
35
検甲
二四一
四四・一一・一二
〃
一九〇
二三〇
40
〃
二四五
四四・一二・一
中央病院
一九〇
(なお血清銅
一七〇)
乙
二三の四九
四五・一・七
市民病院
二二〇
三九八
178
検甲
二四八
四五・二・二
・
二五五
二九一
36
〃
二五〇
四五・二・一四
〃
二二四
三一六
92
〃
二五三
四五・二・一六
中央病院
16.6
乙
二三の七〇
四五・三・一一
市民病院
二五一
二九六
45
検甲
二五五
なお、市民病院の検査用紙には、血清鉄(一〇〇~一四〇)、総鉄結合能(二五一~四七三)、
不飽合鉄結合能(一五〇~三三六)との記載があり、証人秋田勇(第二回)の証言では
右値を正常値であるとしている。
ロ、
年月日
(病院)
GOT
GPT
LDH
証拠
(乙号証につき、成立に争いがない)
四二・四・三
西南病院
一四
一〇
検甲
一〇七
四二・四・五
〃
五
五
〃
一一三
四二・五・三〇
〃
二〇
一八
〃
一三二
四二・六・二三
〃
二〇
一七
〃
一四二
四二・一〇・二
〃
九
二
〃
一八〇
四三・六・一九
中央病院
四八
六九
六四〇
乙二二の二一
〃二二の四八
四三・七・八
〃
三二
五七
〃
二二の四一
四三・七・二九
〃
二八
六三
〃
二二の二四
四四・二・三
〃
四五
一七
〃
二三の六二
四四・三・八
〃
二一
四六
〃
二三の五九
四四・四・一一
市民病院
四一
四〇
検甲
二二九
四四・五・一四
中央病院
五四
五一
二九〇
〃八六
乙二三の五四
四四・六・一三
市民病院
四七
六一
検甲
二三五
四四・七・二三
〃
四一
六三
〃
二三七
四四・九・九
〃
二五
三〇
〃
二三九
四四・一〇・一六
〃
六四
七四
〃
二四二
四四・一一・一二
〃
五〇
六二
〃
二四五
四四・一二・一
中央病院
二五
二八
乙
二三の五〇
四五・一・七
市民病院
四八
三三
検甲
二四八
四五・二・二
〃
七二
七八
〃
二五〇
四五・三・一一
〃
三九
三四
〃
二五五
なお、市民病院の検査用紙には、不動文字で、GOT(八―四〇)、GPT(五―三五)、LDH(五〇―四五〇)との記載がある。
ハ、
四三・六・二〇
空腹時
時間
一・〇〇
〃
二・〇〇
〃
三・〇〇
乙
二二の四五
坂口食・血糖
九一mg/dl
一〇九〃
一二〇〃
一〇七〃
(四) <証拠>によれば、
川瀬常道、山崎洋二、藤井昌富、高野純行医師らは、いずれも、文献等に従い、ヘモクロマトージスについては、鉄が組織内に沈着して起る病気であり、鉄が皮膚、肝臓等に沈着し時間の経過に従つて機能障害を惹起するもので、二次的には鉄の注射等により過剰になると体内で利用されず、肝硬変、糖尿病、皮膚の青銅色、生殖腺の萎縮という諸症状をおこすものであるとしており、さらに、神田正一ならびに藤井昌富医師らは、右に対しヘモジデロージスは、鉄色素が組織に沈着しているだけで、別に機能障害その他病的症状は起つていないものであるとしながらも、ヘモクロマトージスとヘモジデロージスとの間には境界線があり、その移行型も考えられる、つまり、その中間に、実質臓器にある程度の沈着はあるが、その程度が少ないという場合があり得ると指摘し、また、秋田勇医師は、血清鉄が高くなつた場合、鉄が体の臓器におよび、鉄が沈着してくると、全身倦怠感、衰弱感等がでてくるものであり、肝臓にたまつた鉄が肝実質の機能を阻害するため、GOT、GPTが高まるものであるとし、とくに、ヘモクロマトージスには肝硬変が要件でなく、鉄の過剰と肝の実質障害が伴なつておれば、二次性のヘモクロマトージスと考えてよいかとの原告代理人の質問に対し、考えてもよいと思うと述べ、さらに、藤井医師は、続発性の真正ヘモクロマトージスというのは鉄の過剰投与でなるのははつきりしているが、これまでにまだ見たことがない、それは基礎に肝臓が悪いとか、他の代謝疾患があるとかいう時になると理解していると述べていること、
原告は、もともと顔色等が若干黒い方であり、昭和四三年二月下旬頃、色がより黒くなつていたが、これについて、川瀬医師は、色素の沈着は気付いていない、鉄剤の投与そのものによつて色が黒くなつたということも考えられるが、とくに、癌の場合には、その副作用として脳下垂体を刺激され、皮膚の色素沈着を起しやすいものであると述べているのに対し、中野千代喜および原告らは、すでに同四二年九月下旬頃から持続的に青黒く同四三年二月頃には、色もまつくろであつたとしており、原告を診察した中央病院の高野医師(内科担当)は、原告に対し、珍らしいから写真(カラー)をとりたいといつてその了解を求め、現に色素沈着の個所を撮るよう指示したことがあり、同病院医師も原告の皮膚の色をみて、看護婦らに対し、鉄過剰投与の例として話したことがあること、
高知県立中央病院の原告に対する入院患者診療録には、主訴貧血、傷病名として、V.a Sekund〓re Hemochromatosis(疑い、二次性―続発性―ヘモクロマトージス、もつとも、この両者のインクの色は異なる)、初診四三年二月二七日、転帰―軽快、四三年八月一六日、貧血(鉛筆書き)、初診―同上、胃炎・腸癒着、初診四三年六月二七日との記載があり、同病院の原告に対する内科診療録にも、イ、傷病名、二次性ヘモクロマトージス―開始二・二七としてこの二・二七を抹消、貧血(大腸切除術後)(乙第二三号証の一)、ロ、傷病名、二次性ヘモクロマトージス―開始四四年二月三日、その上方に別に四三・四・二と記入、腸癌―術後(乙第二三号証の四四)、ハ、傷病名、二次性ヘモクロマトージス、開始四五年一月一四日、その上方に別に四三・四・二と記入、術後大腸癌(乙第二三号証の六七)とのそれぞれ記載があるほか、同病院の原告に対する病床日誌には、六月一七日、すなわち原告が同病院へ入院した当日付で、ヘモクロマトージスであるであろうかとの記載があること、そして、同病院服部医師から中村市立市民病院への、昭和四四年および同四五年一月一四日付紹介状等にも、右ヘモクロマトージスとの病名が付せられていること、
原告に対する主治医の高野純行は、昭和四三年四月二日、原告について、診察したことがあり、その後、原告の皮膚の色が黒く、肝臓が腫れていること、原告がすでに鉄剤の投与を受け、血清鉄値も高いこと等を考慮し、同年六月一七日以降において、ヘモクロマトージスと診断し、これを診療録に記入したものであり、これに対し、中央病院長藤井医師も、診断の独立性があり問題があるが、主治医が、皮膚の色素沈着、血色素量、治療経過等からヘモクロマトージスと考えたのであろうとしているところ、右高野医師の上司にあたる同病院内科長服部嘉之医師も、右診断名を維持したもので、前示中村市立市民病院への紹介状も、経過をみるためにつけたものであるが、医師としての確信に基づいてヘモクロマトージスなる病名を記載したものであるしていること、
高野ならびに藤井医師は、原告についてヘモクロマトージスの疑いをもつた理由として、前示坂口食による血糖値につき、通常なら、一時間値がピークとなり、二時間値も一二〇以下となるのに、原告の検査結果では二時間値がピークとなり、しかも、この値が最低線ぎりぎりの所であるため、血糖曲線としては異常であり、従つて糖尿病の範疇に入れ―いわゆる疑い糖尿病とみられたこと(なお、神田正一医師は、糖尿病と断定できないが糖尿病曲線であるとする)、および、GOP、GPTについても、前示昭和四三年六月一九日の検査結果では、いずれも正常より高く、LDH六四〇も病的であるから肝機能の障害もあると考えたとしている(神田医師も同様の判断をしている)こと、
高野医師は、その後、同医師に対する証人尋問の際、今から考えると、ヘモクロマトージスでなくヘモジデロージスである、原告の場合、鉄剤が網内系に沈着することは考えられたが、血糖曲線にしても、肝機能にしても大きな障害はなく、ただ、血清鉄値の高いのがヘモクロマトージスとみる唯一の積極的要因である、そして、実質細胞への鉄の沈着は、データーにも出ていないことからみて、改善の可能性が考えられるとし、ヘモクロマトージスは、内因性ないし遺伝的なものが多く、肝硬変症等があり、皮膚にヘモジデリンが沈着するのに反し、ヘモジデロージスは、輸血、鉄剤の静脈内の過剰が原因であるなどの区別に従い、学理的な面から、診断名の変更を結論したが原告代理人の質問に対し、GOT、GPTの高いことから、内科医として肝の実質障害があると認めざるを得ず、結局、個人的には、ヘモクロマトージスであるとの考えを否定することができないとしたこと、
原告は、昭和四三年九月頃から中村市市民病院(前身は幡多中央病院)で診察を受けたことがあり、同病院医師は、原告について、過敏性大腸症候群(四四年一月一一日、初診)、肝機能障害(四四年二月五日、同)、心肥大(四四年五月一五日、同)、貧血(四四年五月九日)の病名により治療を続けているところ、前示服部医師から示された原告に対する昭和四四年五月一四日の諸検査結果等から、肝機能を障害しているとみ、同医師としても、肝生検はしていないし、断定することもできないとしながらも、ヘモクロマトージスであると考えた(ないしはその疑いをもつた)とし、昭和四四年五月一二日付の原告に対する診断書にも、原告が鉄血症(ヘモクロマトージスの趣旨である)、肝機能障害を惹起していると診断し、昭和四五年三月一九日現在原告は肝機能障害を起こしており、その治療を継続しているとしていること、
デスフェラール(Desferrioxamine―従つて、甲第七号証、検甲第一〇二号証の綴は誤記と認める)は、スイスのチバ社で発売されている除鉄剤であるが、我国ではまだ非売品であつて市販されていないところ、すでに、中央病院において、デスフェラール・五〇〇ミリグラム二〇本が原告に投与されているが、その結果、全尿一部定量について昭和四三年七月三一日には、一二五γ/dlを示したが、その注射を中止すると血清鉄は又上つている(服部医師は、臓器に沈着した鉄が循環を始めるためであると解釈している)こと、原告は、体内に鉄剤が過剰であるといわれていたことから、これを、中村市民病院秋田医師に依頼したところ、同病院で入手できないというので、西南病院の方で斡旋してほしいと電話連絡し、神田医師は、薬局長を通じてデスフェラールをまず一〇本取寄せて、右市民病院へ送付し、原告は同病院でその投与を受けているのであるが(そして、前示中央病院での分を含め、これまでに約五〇本に達する)、秋田医師によれば、その結果、普通の人であれば殆んど出ないのに原告の尿中には鉄が高めに出ているとしていること、なお、昭和四五年一月一五日の中央病院服部医師の秋田医師に対する返答の中には、デスフェラミンは今連絡中ですが、入手できませんのでチオラ(チョコラ)の使用を続行してみて下さい。しばらく注射でなくても内服投与でもよいと思います、潟血もよいようですが、また機会をみて入院でもして加療したらと存じますとの記載があること、
神田医師らは、二次性のヘモクロマトージスについては、可逆的であり鉄剤を除去することにより治癒が可能であるとするけれども、さしあたつては、デスフェラールによるか潟血の方法しか考えられないところであること、
以上の事実が認められ、<証拠判断―略>。なお、証人服部嘉之の証言によれば、服部医師は、前示入院患者診療録、二次性ヘモクロマトージスの上に記載したV.a.(疑い)については、原告が中央病院を退院した後一週間ないし一〇日後において、検査結果等を検討した結果、あくまで疑いとしておく方がよかろうということで付したものでないかと思うとするのであるが、前示結腸癌の疑いが抹消されるに至つた経過からも、診断は疑いから確定へと進むのが一般とみられるばかりか、証人川瀬医師の証言(第二回)によつても、疑いとは一〇中八、九まで疑いのある場合と、なおかつ最後の断定が下るまで一応疑いとするものであるとしていること、証人服部嘉之の証言によれば、内科診療録のヘモクロマトージスという病名の上に、職員によつてそれぞれ42.4.2の記入がなされているとみられるのであり、さらに、前示のとおり服部医師から中村市民病院への紹介状等には、ヘモクロマトージスと記載したのみで疑いの記載はなく、これが同病院において治療の指針とされる余地があつたとみられるところから考えると、右V.a.の記入時期については、なお確定的心証を得るに至らないところである。
(五) よつて、以上の事実に基づいて、原告が、鉄剤の過剰投与により二次性ヘモクロマトージスに陥つたものであるか否かについて検討するに、前示検査結果にみられる血清鉄値の異常な高値、GOT、GPTが、正常値を超え、原告が西南病院へ入院した際に比較していずれも高いことから、原告について、肝の実質障害が認められること、坂口食による血糖がいわゆる糖尿曲線としての限界値を示していることから、原告について疑い糖尿病の存在が窺われること、西南病院入院後、原告について、皮膚は黒色であり、これに異常な色素の沈着がみられることなどから、ヘモクロマトージスに関する三主徴が認められるほか、鉄剤の投与開始後において、全身倦怠、貧血のほか、顔、下肢等に浮腫が認められるなど(被告は、鉄剤の投与によるショック症状がみられないとするが、なにをもつてその症状とするのか必ずしも明らかでないが、鉄剤投与による症状の異変を指すならば、それは存在するというべきであろう)ヘモクロマトージスの症状とみられる症状を示しているところであつて、これに、前示の原告の症状についての各医師の診定、治療の経過、後に認定する原告についての慢性肝炎の存在、および、前示原告に対する継続的な多量の鉄剤投与(六か月間にわたる約六、五〇〇mgの鉄剤の静注)の事実ならびに、前示ヘモジデロージスの特性に関する証言等を総合すると、原告は、二次性(続発性)のヘモクロマトージスの傷害を負つたものと推認することができ、しかも、右鉄剤の投与と二次性ヘモクロマトージスの間に相当因果関係が存在するものと考えざるを得ない。そして、右結論を覆えして、原告の症状が、被告が主張するようなヘモジデロージスであると認めしめるに足る証拠はない。
もつとも、被告は、まず、原告については、ヘモクロマトージスに必要とされる四主徴の一である性機能不全がみられないことから、ヘモクロマトージスと断定することができないと主張するところ、たしかに、前示原告についての症状の経過にもその旨の記載がないばかりか、証人中野千代喜の証言、および、原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和四四年一月、訴外中野千代喜と結婚し(届出は同年七月)、その後、一児が出生していることが認められ、従つて、原告について性機能不全が存在しなかつたものと窺われるけれども、前示のとおり、ヘモクロマトージスについては、すべての主特徴がそろうとは限らないとされるところでもあるから、右の一事をもつて、直ちに原告のヘモクロマトージスを否定する理由とすることはできない。また、被告は、原告の血清鉄が高いのは、原告の持病ともいうべき慢性肝炎によるものであり、ヘモクロマトージスとの必然性はない旨主張するところ、原告が、昭和四二年三月、木俵病院で肝疾患の診断を受け、後西南病院で結腸癌として手術をけたことは、前示のとおりであり、<証拠>によれば、西南病院の原告に対する診療録には、慢性肝炎―開始四二・五・一一のほか、原告による報告を記載したとみられる、木俵病院で肝疾患と十二指腸潰瘍により治療、肝に対する薬、注射を受けているとの記載があり、また、中央病院における原告の内科診療録にも、四一〜四二、慢性肝炎との記載がなされ、同病院医師もその旨述べているが、他方、西南病院で慢性肝炎による治療を継続した形跡がなく、前示鉄剤の投与に際しても、肝臓への影響が考えられるところであるのに、右肝炎の存在について考慮された事跡がみられないばかりか、原告が西南病院へ入院した昭和四二年四月四日頃右病名により血清鉄がすでに高値を示していたことを窺わしめるに足る資料がない以上、原告の慢性肝炎は軽度であつたとも考えられ、かかる血清鉄値が高いことは、原告についてみられるヘモクロマトージスによる特徴を示すものとして是認せざるを得ないところであつて、原告についての前示のような再生不良性貧血症状の存在も、右のように判断する妨げとならないものと考える。なお、被告は、二次性ヘモクロマトージスであるとしても可逆的であつて、鉄の除去によつて治癒が可能であると主張するのである。この点については、原告が除鉄剤デスフェラールをすでに使用し、その結果一時的に鉄剤が尿中に多量に出ているのは前示のとおりであつて、その継続使用により―従つて入手が可能であるとの条件が満されれば―鉄が体外へ排泄されていく可能性のあることを否定できないところではあるけれども、服部医師が、昭和四五年一月において、デスフェラールの入手できないことを告げ、原告に対する潟血さえすすめていること、同年二月一四日および同年三月一一日の検査結果にあつても依然血清鉄が高値を示していること、および、デスフェラールの使用による尿中鉄が高めにでていること等を総合勘案すると、実質臓器に沈着したとみられる鉄排泄の困難性を示すものというべく、従つて、原告の症状が右薬剤の使用等により若干好転したとしても、その結果をもつて、原告に対する鉄剤の過剰投与による侵襲の事実を否定することはできないというべきであろう。
七、被告の責任
被告が川瀬常道医師の使用者であることは当事者間に争いがなく、同医師の医療過誤が被告の医療事業の遂行に際して生じたものであることは、以上の事実関係から明らかであるから、被告において、その選任監督について相当の注意を怠らなかつたことについての主張・立証がない以上、被告は、その使用者として、民法第七一五条に従い、右医師が治療を行なうにあたり、原告に対して与えた損害を賠償する義務がある。
八、原告の損害
(一) <証拠>によれば、原告は、昭和三八年三月頃から、木材の売付、搬出等の業務に従事し、一か月約金一二〇、〇〇〇円程度の収入を得ていたところ、昭和四二年五月、結腸癌の手術を経て西南病院を退院した後、右業務を継続していたが、同年六月一五日頃から健康状態が思わしくなく、これを休んでいたこと、原告は、同年七月二八日から再入院による治療を受けた後、同年九月二二日退院したが、貧血、肝機能障害のため当分就業できないという状況が続き仕事にも従事せず経過したこと、原告は、先妻の京子との間で、経済上の問題について話し合いができないまま昭和四三年一〇月一五日、結局協議上の離婚をし、その後、同四四年一月西南病院の準看護婦であつた中野(旧姓伊藤)千代喜と結婚し同年七月一六日その旨の届出を了したこと、原告は、昭和四五年一一月頃においても倦怠感があつて昼寝をしなければならないような状態であるが、通院治療のかたわら妻千代喜の運転する車に同乗して、木材の搬出等の監督をやり、共同して一か月平均金四〇、〇〇〇円ないし四五、〇〇〇円の収入をあげていることが認めれ、証人中野千代喜の証言中、右認定に反する部分は採用せず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。そして、原告が、昭和四二年四月四日から、西南病院へ入院し、同年五月一日まで癌の手術・治療を受け、同年七月二八日から九月二二日まで、同病院に再入院して、再生不良性貧血等について治療を受けたこと、および、昭和四三年六月一七日から同年八月一六日まで、県立中央病院に入院してヘモクロマトージスによる治療を継続したことは前示のとおりであり、また、原告が、右以外にも、中村市民病院等で通院のうえ、治療を受けていることは、<証拠>により明らかであり、原告がその主張のとおり中村市民病院等へ治療費の支払いをしていることは、当事者間に争いがないところである。しかしながら原告については、上行結腸癌に対する手術は成功し、その術後に予想される転移癌に対する療法として、抗癌剤が投与されているのであるから、それが或程度多量にわたつても、かかる治療方法の継続について医師の過失が存在しないと判断される以上、右抗癌剤の副作用による骨髄の造血機能障害―再生不良性貧血ほか原告の全身状態の悪化(なお、原告について、術前の慢性肝炎の存在を否定できないことは前示のとおり)については、その限度で、適法な医療侵襲の結果として、原告においてこれを忍受すべきものであると解される。してみると、原告が、鉄剤投与開始後の昭和四三年三月以降において、入・通院治療を継続し、休業を余儀なくされ、かつ、そのための治療費の支出をしているのは前示のとおりであり、右損害が、西南病院医師による鉄剤の過剰投与―違法な侵襲によるものであることは、一応これを肯定せざるを得ないところであるとしても、前示のような抗癌剤の副作用による既存の機能障害等の事実を無視し、かかる損害のすべてを鉄剤の過剰投与の結果―ヘモクロマトージスによるものであると結論するのは、不法行為法における損害の公平な分担という理念に照らして相当でないと考えられるところであり、しかも、右適法ないし違法な医療行為と損害との間の因果関係については、その範囲―量的割合を肯認せしめるに足る資料がないというべきであるから(しかも、心証度による負担割合を決することもできない)、結局、以上もろもろの事実を慰藉料算定の際の事情事実として顧慮・斟酌するにとどめることとする(適法な医療行為によつて生ぜしめられた病的状態も、患者の持病等とあいまつて、その素質要因たるを失なわないところであつて、これと爾後の新らたな医療侵襲後呈する症状との間に、何らかのかからりが肯定される範囲で、右素因を慰藉料等の算定における減額事情として考慮することは肯定されて然るべきであると考える)。
なお、被告は、原告が昭和四二年五月一日退院後において、十分療養せず山林労務に従事したことが原告自らその予後を悪化させたとし、原告の過失を主張するもののようであるが、<証拠>によれば、原告は、昭和四二年五月一日当時、癌に罹患し、これによる手術を受けているとの事実を十分知悉せず、かつ、医師からも日常生活についての具体的な指示のなかつたことが認められるところであるから、採用することができない。
(二) <証拠>によつて認められる原告が昭和四年一月二五日生れであること、前示原告の職業および離婚ないし結婚の経過、鉄剤の過剰投与によりヘモクロマトージスに陥り、その治療法として非売品であるデスフェラールの投与に僅かに希望を繋いでいること、原告が継続した入・通院治療の経過、治療費等支払いの事実、原告が弁護士費用を請求していない事実、西南病院がデスフェラールの入手に好意的に尽力した事実、その他、本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、原告の右医療過誤により受けた精神的・肉体的苦痛は、金二、八〇〇、〇〇〇円で慰藉されるのが相当であると認める。
九、結論
してみると、原告の本訴請求は、被告に対し、金二、八〇〇、〇〇〇円、および、これに対する前示原告に対する鉄剤投与の最終日である昭和四三年二月二〇日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言について同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。 (稲垣喬)